2008年08月16日
『歩いても 歩いても』手描き看板
お盆で忙しい(劇場は暇)なこともあり、届いていた『歩いても 歩いても』の看板を掲げました。映画は9月6日より。看板といっても桜坂劇場の場合は布に描かれたものですが。月に一回くらいはいまだに手描き看板を作っています。やっぱ映画館といえばこれだよね。って思う人は減ったんでしょうね。手描き看板というのは、遠めに観るものですから、まあ微妙に似てなくてもしょうがないもの。毎回このズレ具合が楽しみでもあります。今回も樹木希林さんが、顔のしわが取れて若返っています。他にもいろいろ見比べて楽しいものがあります。『歩いても 歩いても』は9月上映作品の目玉。現在、桜坂劇場では『ぐるりのこと。』が絶賛上映中ですが、もはや次の準備です。どの作品もお見逃しないように、お願いいたします。
タグ :歩いても 歩いても
2008年08月14日
特集上映を考えるラボ:チョン・ドヨンと市川崑
『特集上映を考えるラボ』。9月末に上映する『シークレット・サンシャイン』。その流れで主演女優のチョン・ドヨンにスポットを当てたミニ特集の企画。とは言ってもモーニングに昨年の話題作『ユア・マイ・サンシャイン』をつけたかわいらしい企画です。でも韓国人のスターというのは、やはりファンの人には響くけど、それ以外の人に伝わりにくいってことになり、先週の宿題で壁新聞をつくるようにとお達しを出していた。受講者のZさんは自らドヨニストと語るほど、チョン・ドヨンが好きらしい。気合いのこもったチョン・ドヨン新聞を3パターンも作ってきてくれた。好きなひとの推薦文ほど心が動かされるものはないと感心する。あれこれ添削して来週貼り出しましょうということに。またもう一人の受講生Aさんから『市川崑特集』の企画もあがる。市川崑といってもいろいろあるんですが、今回は洒落たミステリーが中心になっていた。考えてそうしたというよりは、気になるものを集めたらそうなったという感じらし。でも統一感があるので特集としては良い感じのくくりだと思う。前向きに検討。来週、さらなるブラッシュアップされたプレゼンを期待。
2008年08月11日
『女工哀歌』と『おいしいコーヒーの真実』
日曜日なので、床屋に行って髪を切り、少し遅めの出社。朝方の雨のせいか、桜坂一帯が停電になっていたそうだ。対したトラブルもなく、復旧したようで桜坂市民大学の担当に、スチール撮影で借り出される。どんな写真かは、次期の市民大学の募集をお楽しみに。ともかく昼過ぎから夜まで歩き回る。
家に帰ってからサンプルDVDで『女工哀歌(エレジー)』を観る。中国のジーンズ工場の少女たちの労働の実態を描いたドキュメンタリー。主人公のジャスミンは、田舎から出稼ぎに来た17歳の少女。彼女が工場で知りあった親友は14歳。働いて2年になるという。つまり12歳から働いている。給料は安く、労働時間はとんでもなく長い。日々残業で眠る時間もないのに、居眠りをすると罰金となる。なのに給料も遅れがち。こうやって僕らが履いているジーンズは作られているのかとつらくなる。14歳の少女が先陣を切ってストライキをする姿には正直、切ないものがある。労働者を信用しない経営者が、とんでもなく悪人にも見えるが、必ずしもそういうわけではない。きわめてまともな常識人であり、会社存続のために、鬼にならざる得ないのもよくわかる。
ジーンズの工場と言うことからしてもわかるように、顧客は海外の企業。こういった海外の企業は顧客へのイメージを悪くしたくないので、工場に調査団を派遣して、労働実態を調査している。でも工場側には事前に告知していくため、工場側は質問された場合の答え方を工員達に指導する。まずいものは隠してしまう。調査団は《問題なし》という答えを持って帰国していく、つまりデキレースがそこにはある。海外の小売業者はジーンズの販売価格を抑えつつ、顧客にはいい顔をしたいのである。そして顧客が欲しいのは、真実から来る罪悪感ではなく、少しでも安いジーンズというわけだ。グローバリズムの流れの中で、僕らは加害者とまでは言わなくても、その共犯者であることはまちがいないだろう。正直、中国は物価が安いから人件費も安いのだと思い込んでいる人は多いんじゃないだろうか。でもこの映画の主人公の女の子たちは、前向きである。いったいこんな大きなサイズのジーンズをどんな人が履くのか?夢想し、働かなくても良い同世代の子供たちに「運が良かったね」と言葉を漏らす。運命を受入れる十代の少女たちの姿に心打たれます。桜坂劇場でもいずれ上映するので、できれば中高生の子供たちの集団鑑賞なんて企画したいなあ。ジャスミンのメッセージを伝えたいです。
8/31(日)、9/1(月)に、那覇市ぶんかテンブス館で上映する『おいしいコーヒーの真実』というドキュメンタリーでも、同種の内容を扱っている。こちらはコーヒーの生産国で、労働者がいかに低賃金で搾取されているかが見て取れる。タイトルを『おいしくて安いコーヒーの作り方』と変えたほうが良いのではないかという内容で、コーヒー党の僕には耳が痛い話でもある。東京でも大ヒット上映中のようだ。配給会社のアップリンク担当者が言うには「みんなスターバックスでテイクアウトしたコーヒーを買ってくる」そうです。
31日には、NPOの人々も集まって、トークショーも開催する。あなたの知らない耳の痛い話を是非聞きにきていただきたい。まず知ることから始めよう。
家に帰ってからサンプルDVDで『女工哀歌(エレジー)』を観る。中国のジーンズ工場の少女たちの労働の実態を描いたドキュメンタリー。主人公のジャスミンは、田舎から出稼ぎに来た17歳の少女。彼女が工場で知りあった親友は14歳。働いて2年になるという。つまり12歳から働いている。給料は安く、労働時間はとんでもなく長い。日々残業で眠る時間もないのに、居眠りをすると罰金となる。なのに給料も遅れがち。こうやって僕らが履いているジーンズは作られているのかとつらくなる。14歳の少女が先陣を切ってストライキをする姿には正直、切ないものがある。労働者を信用しない経営者が、とんでもなく悪人にも見えるが、必ずしもそういうわけではない。きわめてまともな常識人であり、会社存続のために、鬼にならざる得ないのもよくわかる。
ジーンズの工場と言うことからしてもわかるように、顧客は海外の企業。こういった海外の企業は顧客へのイメージを悪くしたくないので、工場に調査団を派遣して、労働実態を調査している。でも工場側には事前に告知していくため、工場側は質問された場合の答え方を工員達に指導する。まずいものは隠してしまう。調査団は《問題なし》という答えを持って帰国していく、つまりデキレースがそこにはある。海外の小売業者はジーンズの販売価格を抑えつつ、顧客にはいい顔をしたいのである。そして顧客が欲しいのは、真実から来る罪悪感ではなく、少しでも安いジーンズというわけだ。グローバリズムの流れの中で、僕らは加害者とまでは言わなくても、その共犯者であることはまちがいないだろう。正直、中国は物価が安いから人件費も安いのだと思い込んでいる人は多いんじゃないだろうか。でもこの映画の主人公の女の子たちは、前向きである。いったいこんな大きなサイズのジーンズをどんな人が履くのか?夢想し、働かなくても良い同世代の子供たちに「運が良かったね」と言葉を漏らす。運命を受入れる十代の少女たちの姿に心打たれます。桜坂劇場でもいずれ上映するので、できれば中高生の子供たちの集団鑑賞なんて企画したいなあ。ジャスミンのメッセージを伝えたいです。
8/31(日)、9/1(月)に、那覇市ぶんかテンブス館で上映する『おいしいコーヒーの真実』というドキュメンタリーでも、同種の内容を扱っている。こちらはコーヒーの生産国で、労働者がいかに低賃金で搾取されているかが見て取れる。タイトルを『おいしくて安いコーヒーの作り方』と変えたほうが良いのではないかという内容で、コーヒー党の僕には耳が痛い話でもある。東京でも大ヒット上映中のようだ。配給会社のアップリンク担当者が言うには「みんなスターバックスでテイクアウトしたコーヒーを買ってくる」そうです。31日には、NPOの人々も集まって、トークショーも開催する。あなたの知らない耳の痛い話を是非聞きにきていただきたい。まず知ることから始めよう。
2008年08月10日
お盆近し『881 歌え!パパイヤ』は16日から
ある意味どうでも良い小品だが、かわいくてしょうがない映画というのがあったりする。『881 歌え!パパイヤ』はそういう映画の典型みたいな作品である。観たからといって人生は変わらないが、生きることの豊かさを確認できる映画とでも言おうか。
以前、台湾で半年間仕事をしていたので、中華圏の映画を観ると生々しい実感が湧いて、思い入れが強くなってしまう。特に中国本土よりも、『歌え!パパイヤ』のように中国から離れた華僑文化ならことさらバイタリティを感じて惹かれてしまいます。
中華圏文化のバイタリティは、温故知新にある。伝統が強烈に残っていて、それを消さずに新しいものを吸収していく姿勢とでもいうのか。初めて台湾でお祭りに行ったとき、神棚の照明にネオン管を使ったり、京劇風のメイクと衣装で練り歩く人が、蛍光色の隈取りをしていたりと、伝統的な場面で新しい物を取り込んでいるところに感動した。伝統的な形を変えると言うのは、精神的な部分で揺らぎがないとできないもんである。まるで新しい物でも何でも、キレイでハデなものを取り込めば、神様やご先祖が喜ぶと思っているかのように。沖縄の琉球民謡というのが、古典だけに終わらないのといっしょで、彼らの信仰心は今と言う空気を吸い込みながら、現在進行形で動き続けている実感がある。『881 歌え!パパイヤ』は、まさにそういう映画である。軽いノリでも、微動だにぶれない精神文化から生れた娯楽作なのだ。
まずゲータイという歌謡ショーの存在。旧暦の7月は中華圏では《鬼の月》と呼んでいる。中華圏の鬼とは、大ざっぱに言うと幽霊のことで、日本のそれとは少し違う。つまりあの世とこの世が混ざりあう月だ。日本のお盆といっしょ。ゲータイはこの一ヶ月間、シンガポールのあちこちで開催される歌謡ショーで、あの世の人を迎えるもの。沖縄で言えばエイサーみたいなものだろう。
しかし、こんな楽しいショーが、あの世の人のためだけですむはずもなく、この世の人が思いっきり楽しめる夏の風物詩にもなっている。紅白の小林幸子のようなド派手な衣装が目にも楽しい。観ようによっては本来の意味を置き去りにして突っ走って楽しんでいるようでもあり、そういう側面もあるかも知れない。でも本質が消えていないのは、映画をラストまで観ればわかる。そこには普遍的で連綿とつづく人生の喜怒哀楽がしっかりと込められている。ポップだとか、ガーリームービーとか、今どきの洒落た言葉で若者をターゲットにはしたくない、誰もが楽しめる娯楽作なのである。旧盆という伝統を持つ沖縄ならなおのことである。
この映画を観て、家に帰って号泣したというコメントがあったが、その気持ちがよくわかる。映画の中で歌われる歌詞も、とことん悲しいのに、音楽はにぎやかでそのギャップも時限爆弾の用にあとから響いてくる。歌詞の内容は映画の字幕で確かめてください。
以前、台湾で半年間仕事をしていたので、中華圏の映画を観ると生々しい実感が湧いて、思い入れが強くなってしまう。特に中国本土よりも、『歌え!パパイヤ』のように中国から離れた華僑文化ならことさらバイタリティを感じて惹かれてしまいます。
中華圏文化のバイタリティは、温故知新にある。伝統が強烈に残っていて、それを消さずに新しいものを吸収していく姿勢とでもいうのか。初めて台湾でお祭りに行ったとき、神棚の照明にネオン管を使ったり、京劇風のメイクと衣装で練り歩く人が、蛍光色の隈取りをしていたりと、伝統的な場面で新しい物を取り込んでいるところに感動した。伝統的な形を変えると言うのは、精神的な部分で揺らぎがないとできないもんである。まるで新しい物でも何でも、キレイでハデなものを取り込めば、神様やご先祖が喜ぶと思っているかのように。沖縄の琉球民謡というのが、古典だけに終わらないのといっしょで、彼らの信仰心は今と言う空気を吸い込みながら、現在進行形で動き続けている実感がある。『881 歌え!パパイヤ』は、まさにそういう映画である。軽いノリでも、微動だにぶれない精神文化から生れた娯楽作なのだ。
まずゲータイという歌謡ショーの存在。旧暦の7月は中華圏では《鬼の月》と呼んでいる。中華圏の鬼とは、大ざっぱに言うと幽霊のことで、日本のそれとは少し違う。つまりあの世とこの世が混ざりあう月だ。日本のお盆といっしょ。ゲータイはこの一ヶ月間、シンガポールのあちこちで開催される歌謡ショーで、あの世の人を迎えるもの。沖縄で言えばエイサーみたいなものだろう。しかし、こんな楽しいショーが、あの世の人のためだけですむはずもなく、この世の人が思いっきり楽しめる夏の風物詩にもなっている。紅白の小林幸子のようなド派手な衣装が目にも楽しい。観ようによっては本来の意味を置き去りにして突っ走って楽しんでいるようでもあり、そういう側面もあるかも知れない。でも本質が消えていないのは、映画をラストまで観ればわかる。そこには普遍的で連綿とつづく人生の喜怒哀楽がしっかりと込められている。ポップだとか、ガーリームービーとか、今どきの洒落た言葉で若者をターゲットにはしたくない、誰もが楽しめる娯楽作なのである。旧盆という伝統を持つ沖縄ならなおのことである。
この映画を観て、家に帰って号泣したというコメントがあったが、その気持ちがよくわかる。映画の中で歌われる歌詞も、とことん悲しいのに、音楽はにぎやかでそのギャップも時限爆弾の用にあとから響いてくる。歌詞の内容は映画の字幕で確かめてください。
2008年08月10日
こども映画撮影隊上映会は8/17(日)
前に子供向けのワークショップのシンポジウムに招待されて話をしたことがある。桜坂劇場以外にもいくつか発表があったが、金沢の子供向けワークショップの講師は、桜坂の代表でもある中江監督ということで、期せずして2本の実例が桜坂絡みだったということになる。僕が出した実例は昨年作った人形アニメ。金沢の作品はドキュメンタリー。子どもたちが金沢の美術館に集まったカップルに「愛について」質問していくというミスマッチが笑える傑作だった。それ以外は中学生くらいの子どもたちを、映画学校の先生達が指導して作った映画っぽい作品。脚本から全て子どもたちが作ったということですが、なかなか良くできていました。で、今年の夏休みは桜坂劇場でも『子ども映画撮影隊』と称して、小学生対象のワークショップをおこなった。アニメはお休み。集まったのは5年生が一人であとは2~3年生という感じ。映画制作というとチームワークがけっこう大事なので、実際中学生くらいじゃないと難しい。男の子6人が集まると意味なく大騒ぎになってしまう。スタッフがある程度いればもちっと目が行き届くのだが、僕一人でやっているとそうもいかない。自主的に子どもたちに映画を作らせるというのはかなり難しいので、僕が実質の監督をして、要所要所に彼らのアイディアを引き出して盛り込むという形でいくことにした。
正直、初めての映画の現場で、自分たちが何をやっているのかわからないまま動いている子もいると思う。だから毎回撮影した分を、次の撮影日までに粗編集して見せるようにした。本当は編集も見せたかったが、時間がかかるわりに地味なので、最初に1分のパイロット版を作って編集するところを見せるだけにした。それでもバラバラに撮った映像が一つの意味を持って流れると「おぉぉー!」と感動の声。意外にうまくいくかと思ったが甘かった。
無茶な思いつきを出し合う脚本会議を経て、2回目からは外で集合。撮影前にパソコンで前回の映像を確認。すぐに撮影というスピーディーな流れ。1日1時間程度の撮影で3回のロケ。とにかく飽きっぽい子供たちの集中力と、沖縄の炎天下での撮影なれば、それくらいがちょうど良い感じ。で、どうにか映画は撮り終わり編集も終了。あとはみんなで効果音をつけるだけだ。
彼らの自主性も大事だが、相手が小学生では、こっちでリードして成功体験を積んでもらうという方法論で今回は進行。毎回低予算特殊効果を入れ込んでいるので、粗編集の映像を楽しみにしている。特撮も後処理は味付けで、現場対応のわかりやすい物を要所要所に入れた。機材の良し悪しでなく、アイディアで乗り切っていくおもしろさが伝わればいいなと思う。これは別の場面でやっている『フライング・ムービー』という企画にも繋がるけど、プロの様なクオリティをめざしたコピー作品よりも、下手でも良いからプロよりおもしろいものを作る精神みたいな、つまり若気の至りを見せつけてくれる作品作りをめざした。完成品はけっこういけていると思う。ちなみに写真は映画のワンシーンです。『ロード・オブ・ザ・リングス』なみの技術で撮った特撮シーン。
タイトルは『宇宙人をやっつけろ! GO GO GOYA!の巻』。なんと8月17日(日)に12:00から、桜坂劇場の300人収容のホールにて上映予定。入場無料です。
2008年07月13日
『靖国 YASUKUNI』を巡る問題に関する私見
7月12日(土)より桜坂劇場でも話題作『靖国 YASUKUNI』(以後、『靖国』)の上映がスタート。初日に300人を超える観客に足を運んでいただきました。そういうところで、この映画に対する自分の意見をまとめてみました。映画館を代表した意見というよりは、個人的な思いです。また助成金の問題などは、劇場での上映と直接関係ないことでもありますが、関連する問題だし、自分も過去に『パイナップルツアーズ』という映画でもらったことがあるので見過ごせないかなと思い書いておきました。
上映中止問題
他の劇場が選択した結論に、どうこう言う気はまるでありません。同じことが桜坂劇場では起こらないと言いきる自身もありません。また原因が右翼だけにあるとも思ってません。簡単には割り切れない複雑なことが起こったように思えます。ただし、この件が大きく報道され、結果として映画の認知度を上げ、作品としてはより多くの観客を獲得したのは皮肉な事実。このことで右翼の人々が、これ以上ことを荒立てるのは得策でないと考えたとすれば、東京での上映中止という犠牲が、全国展開をスムーズにしたと言えないこともないでしょう。ただ、劇場運営を行う人間として、一度は上映を決定し、公開日も発表した作品をドタキャンにするというのは、その覚悟を問われることなのだという事実を肝に銘じたいと思います。
助成金の問題
ともかく助成金をあたえる作品の選定に対して、政治家がとやかく言うのは意味がわからない。そもそもそういう圧力を避けるために専門的知識を持つ第三者による審議会が作られるわけで、そこで選んだものをイデオロギー的な色眼鏡で難癖つけるのは本末転倒。選択の是非は納税者が映画を観て決めることではないでしょうか。国会議員が公開前の作品に対して世論を作って、返金請求を訴えるなんてことが通るとしたら、助成金をもらうためには最大与党の政策に沿った映画を作るしかなくなってしまう。もはや文化庁の助成金ではなく、国策映画の奨励事業になってしまう。
だいたい芸術というのは時として現在の状況に異論を投げ掛けたり、固まった常識を揺り動かして、他の視点を持ち込む道化師のようなもだと思う。そういう力を持った作品をセレクトするという考え方なら『靖国』への出資がまちがっているとは僕には思えない。ともかく今回のように「日本文化を否定的に扱う作品に助成するべきではない」という某議員の考え方を聞いていると、ナチスが印象派など近代芸術を退廃芸術と位置づけ、その作家たちを公職から追放し、国家にとって健全で純粋なロマン主義的写実主義を持ち上げまくった歴史を思い出す。
また監督が中国人で、製作の母体は中国の製作会社。日本人のプロデューサーが一人混じっていだけの映画『靖国』を、日本映画への助成金対象とすることに対して反論が論が持ち上がっている。じゃあ、これがまったく別の、例えば『ラストサムライ』のように、日本文化にリスペクトを送るような映画だったら、誰か文句を言っただろうか?仮定の話をしてもしょうがないが、重要なのは審議委員に、今の日本に必要とされるであろう映画に対して覚悟を持って出資を決める権限をきちんとあたえることだと思う。その作品に一人でも日本人がかかわっているなら、出資の対象として排除する理由にはならないのではないか。そもそも『靖国』一本をまな板にあげて、助成金の審査にいちゃもんをつけるというのは感情的と言われてもしょうがない。
出演者の問題
刀鍛冶の刈谷さん、そしてメインビジュアルに使われてしまった自衛官。その双方から映像使用を差し控えてほしいという声が出ていることが問題視されていた。そんな声の出ている映画を上映するのはけしからんと桜坂劇場に対して思っている人も中にはいるかも知れない。しかしドキュメンタリーとはおおむねそういうものです。それに刈谷さんに関しては、最終的に映画が完成し、公開を直前に控えているという事実を知ってからは、映像使用を許可していると聞いている。つまり先の意見は、「映画がまだ完成しておらず、修正が可能であれば」という前提付きのものだったという。おそらく刈谷さんの意思として、自分が映画に使われて誰かに迷惑がかかることも、上映直前に文句をつけて制作者に迷惑をかけることも、同じように避けたいことだったのではないだろうか。刈谷さんの実直な人柄が感じられる。もし政治家がそういう人を政治的に追い込んで「使用差し止め」の言説をとったのであれば、これは問題であろうし、そんな状況から刈谷さんを守れなかった製作側の不手際も反省点としてあげられると思う。
そんな状況だからこそ、僕は上映をするべきだと思っている。なぜなら映画の中で刈谷さんの存在感は強烈なのだ。確かに映画というのは、編集や構成などで、技術的に事実をねじ曲げることはできる。そうやってプロパガンダ映画なるものは作られてきた。しかし、映像というのは、監督の意図を越えてもっと雄弁になることもある。その気になれば、観客は映像から、監督が意図しない事実、隠れた真実を読み取れる。それがドキュメンタリーのおもしろさだと個人的には思いっている。少なくともこの映画での刈谷さんの素敵な笑顔と、実直な生き様、そして日本文化への深い思いに嘘やイヤミは感じられない。演出がどうこうという域を超えた存在感なのである。こればかりは観ないとわからない。だから出演者に対して責任をとるならば、きちんと上映をするべきなのです。そこに映る刈谷さんと靖国神社との関係、そして戦争という遺恨をどのようにとらえるか。そこをきちんと意見や感想をぶつけあえばいいのです。
『靖国 YASUKUNI』の存在意義
だいたい、この映画の公開によって、右翼の人々の言論を聞く機会が増えたのも事実。右も左も一般の人も、価値観や日ごろの思いをぶつけ合うことができ、また相手の考えを聞いてみたいと思えるようになったのは、共通のテーマとして『靖国』という映画の存在があったからでしょう。そして、そういう作品は外国人であるリ・イン監督による黒船的視点があったからこそ成立している。『靖国』という映画の存在意義はまさにここにある。『靖国』という映画が永遠に語りつがれる名作になるかどうかはわからないが、今の日本に大きな意味をあたえる作品になる可能性を持っている。だから助成金の対象としてなんら問題はないのじゃないのか。
あちこちで書いたが、僕は終戦記念日の靖国神社に何度も足を運んだことがある。その経験からすれば、この映画に映し出されている靖国神社の姿は、ほんの一部でしかない。その半端な描き方に警戒心を抱く右翼の心配もよくわかる。でも、観客の自身がもっと知りたい、話を聞きたいと思う欲求も僕らは信じていたい。偏った思考を揺り動かす振れ幅を生み出したいし、着地点を見つける材料を提示したい。そしてそこで論議が起こるのを観て見たい。突き詰めれば劇場の使命ってそういうことじゃないかと思う。
最後に宣伝ですが、まずは映画を観てください。そして靖国神社だけでなく、今回の問題についていろいろ知りたいと思う方は、劇場でも売っている『映画 靖国 上映中止を巡る大議論』(創出版)を読むことをオススメします。事実関係や、様々な当事者の感想がまとめられていて、読みごたえがあります。
上映中止問題
他の劇場が選択した結論に、どうこう言う気はまるでありません。同じことが桜坂劇場では起こらないと言いきる自身もありません。また原因が右翼だけにあるとも思ってません。簡単には割り切れない複雑なことが起こったように思えます。ただし、この件が大きく報道され、結果として映画の認知度を上げ、作品としてはより多くの観客を獲得したのは皮肉な事実。このことで右翼の人々が、これ以上ことを荒立てるのは得策でないと考えたとすれば、東京での上映中止という犠牲が、全国展開をスムーズにしたと言えないこともないでしょう。ただ、劇場運営を行う人間として、一度は上映を決定し、公開日も発表した作品をドタキャンにするというのは、その覚悟を問われることなのだという事実を肝に銘じたいと思います。
助成金の問題
ともかく助成金をあたえる作品の選定に対して、政治家がとやかく言うのは意味がわからない。そもそもそういう圧力を避けるために専門的知識を持つ第三者による審議会が作られるわけで、そこで選んだものをイデオロギー的な色眼鏡で難癖つけるのは本末転倒。選択の是非は納税者が映画を観て決めることではないでしょうか。国会議員が公開前の作品に対して世論を作って、返金請求を訴えるなんてことが通るとしたら、助成金をもらうためには最大与党の政策に沿った映画を作るしかなくなってしまう。もはや文化庁の助成金ではなく、国策映画の奨励事業になってしまう。
だいたい芸術というのは時として現在の状況に異論を投げ掛けたり、固まった常識を揺り動かして、他の視点を持ち込む道化師のようなもだと思う。そういう力を持った作品をセレクトするという考え方なら『靖国』への出資がまちがっているとは僕には思えない。ともかく今回のように「日本文化を否定的に扱う作品に助成するべきではない」という某議員の考え方を聞いていると、ナチスが印象派など近代芸術を退廃芸術と位置づけ、その作家たちを公職から追放し、国家にとって健全で純粋なロマン主義的写実主義を持ち上げまくった歴史を思い出す。
また監督が中国人で、製作の母体は中国の製作会社。日本人のプロデューサーが一人混じっていだけの映画『靖国』を、日本映画への助成金対象とすることに対して反論が論が持ち上がっている。じゃあ、これがまったく別の、例えば『ラストサムライ』のように、日本文化にリスペクトを送るような映画だったら、誰か文句を言っただろうか?仮定の話をしてもしょうがないが、重要なのは審議委員に、今の日本に必要とされるであろう映画に対して覚悟を持って出資を決める権限をきちんとあたえることだと思う。その作品に一人でも日本人がかかわっているなら、出資の対象として排除する理由にはならないのではないか。そもそも『靖国』一本をまな板にあげて、助成金の審査にいちゃもんをつけるというのは感情的と言われてもしょうがない。
出演者の問題
刀鍛冶の刈谷さん、そしてメインビジュアルに使われてしまった自衛官。その双方から映像使用を差し控えてほしいという声が出ていることが問題視されていた。そんな声の出ている映画を上映するのはけしからんと桜坂劇場に対して思っている人も中にはいるかも知れない。しかしドキュメンタリーとはおおむねそういうものです。それに刈谷さんに関しては、最終的に映画が完成し、公開を直前に控えているという事実を知ってからは、映像使用を許可していると聞いている。つまり先の意見は、「映画がまだ完成しておらず、修正が可能であれば」という前提付きのものだったという。おそらく刈谷さんの意思として、自分が映画に使われて誰かに迷惑がかかることも、上映直前に文句をつけて制作者に迷惑をかけることも、同じように避けたいことだったのではないだろうか。刈谷さんの実直な人柄が感じられる。もし政治家がそういう人を政治的に追い込んで「使用差し止め」の言説をとったのであれば、これは問題であろうし、そんな状況から刈谷さんを守れなかった製作側の不手際も反省点としてあげられると思う。
そんな状況だからこそ、僕は上映をするべきだと思っている。なぜなら映画の中で刈谷さんの存在感は強烈なのだ。確かに映画というのは、編集や構成などで、技術的に事実をねじ曲げることはできる。そうやってプロパガンダ映画なるものは作られてきた。しかし、映像というのは、監督の意図を越えてもっと雄弁になることもある。その気になれば、観客は映像から、監督が意図しない事実、隠れた真実を読み取れる。それがドキュメンタリーのおもしろさだと個人的には思いっている。少なくともこの映画での刈谷さんの素敵な笑顔と、実直な生き様、そして日本文化への深い思いに嘘やイヤミは感じられない。演出がどうこうという域を超えた存在感なのである。こればかりは観ないとわからない。だから出演者に対して責任をとるならば、きちんと上映をするべきなのです。そこに映る刈谷さんと靖国神社との関係、そして戦争という遺恨をどのようにとらえるか。そこをきちんと意見や感想をぶつけあえばいいのです。
『靖国 YASUKUNI』の存在意義
だいたい、この映画の公開によって、右翼の人々の言論を聞く機会が増えたのも事実。右も左も一般の人も、価値観や日ごろの思いをぶつけ合うことができ、また相手の考えを聞いてみたいと思えるようになったのは、共通のテーマとして『靖国』という映画の存在があったからでしょう。そして、そういう作品は外国人であるリ・イン監督による黒船的視点があったからこそ成立している。『靖国』という映画の存在意義はまさにここにある。『靖国』という映画が永遠に語りつがれる名作になるかどうかはわからないが、今の日本に大きな意味をあたえる作品になる可能性を持っている。だから助成金の対象としてなんら問題はないのじゃないのか。
あちこちで書いたが、僕は終戦記念日の靖国神社に何度も足を運んだことがある。その経験からすれば、この映画に映し出されている靖国神社の姿は、ほんの一部でしかない。その半端な描き方に警戒心を抱く右翼の心配もよくわかる。でも、観客の自身がもっと知りたい、話を聞きたいと思う欲求も僕らは信じていたい。偏った思考を揺り動かす振れ幅を生み出したいし、着地点を見つける材料を提示したい。そしてそこで論議が起こるのを観て見たい。突き詰めれば劇場の使命ってそういうことじゃないかと思う。
最後に宣伝ですが、まずは映画を観てください。そして靖国神社だけでなく、今回の問題についていろいろ知りたいと思う方は、劇場でも売っている『映画 靖国 上映中止を巡る大議論』(創出版)を読むことをオススメします。事実関係や、様々な当事者の感想がまとめられていて、読みごたえがあります。
2008年06月28日
3周年イベントの日、地方上映に行ってきた
桜坂劇場の三周年大感謝祭。ということで恒例の1コインフィルム・リレーの開催。劇場大忙しのはずだが、今日は僕は劇場を離れて北部にある宜野座がらまんホールへ出張上映。もう1ヶ所リウボウホールでの上映もこの日はあるので、映写技師不足ということで、プログラム・ディレクター自ら出かけることになる。でも、本当は桜坂劇場を離れて遠くの出張上映にも出かけたかったんだよね。プログラム作る上でも、現場は見ておくほうがいいだろうし。そういうわけで、宜野座がらまんホールに『マザー・テレサ・メモリアル』を持って出かけていきました。
趣味的にはもっと小さな公民館暮らすで映写機の音を客席に響かせながら上映というのが好きなんですが、今どきの地方は立派なホールがあるんです。がらまんホールもそんな立派なホール。映写も液晶プロジェクターだし、音響もホールのミキサーにつなぐだけ。便利な時代です。
マザー・テレサのご威光もあって、地方にしてはそこそこの入りです。でも劇場じゃないんで上映中は意外とやることがない。外はもう夏の日差しがギラギラ。子供たちも影で遊んでいる。アイスとかき氷を買ってきて、受付のスタッフと野郎二人食べたりしてみる。夏が来たんだなと実感。
ここは宜野座の中心部だが、それほど広くない。畑や雑木林に囲まれた様な場所。こういうところだからこそ、映画を上映する意味はあるのだが、いかんせんお客が少ない。何かもっとおもしろい上映の方法はないのかな〜と考えるが、コストや労力のバランスもあるんで無責任に拡大もでき何のが辛いところ。回数減らしても、もっと印象的な上映会ってできないかと、かき氷をかじりながら考える。
肝心のマザー・テレサも上映しながら見ていた。なんかもう実践者の言葉っつうのは、本当に心に響きます。キリスト教と言うわくの中にいながら、そのわくに囚われることなく信念を貫いたマザーは最高にロックなスピリットを持った人だったと思います。そんな『マザー・テレサ・メモリアル』の桜坂劇場での興行成績は、東京の東京都写真美術館についで第二位だそうです。期待より少ないなと思っていた僕らは罰当たりでした。でも本当に、マザーの言葉は染みるんですよ。
『マザー・テレサ・メモリアル』は7月3日、4日に、ロックな町、コザでも上映します。
趣味的にはもっと小さな公民館暮らすで映写機の音を客席に響かせながら上映というのが好きなんですが、今どきの地方は立派なホールがあるんです。がらまんホールもそんな立派なホール。映写も液晶プロジェクターだし、音響もホールのミキサーにつなぐだけ。便利な時代です。マザー・テレサのご威光もあって、地方にしてはそこそこの入りです。でも劇場じゃないんで上映中は意外とやることがない。外はもう夏の日差しがギラギラ。子供たちも影で遊んでいる。アイスとかき氷を買ってきて、受付のスタッフと野郎二人食べたりしてみる。夏が来たんだなと実感。
ここは宜野座の中心部だが、それほど広くない。畑や雑木林に囲まれた様な場所。こういうところだからこそ、映画を上映する意味はあるのだが、いかんせんお客が少ない。何かもっとおもしろい上映の方法はないのかな〜と考えるが、コストや労力のバランスもあるんで無責任に拡大もでき何のが辛いところ。回数減らしても、もっと印象的な上映会ってできないかと、かき氷をかじりながら考える。
肝心のマザー・テレサも上映しながら見ていた。なんかもう実践者の言葉っつうのは、本当に心に響きます。キリスト教と言うわくの中にいながら、そのわくに囚われることなく信念を貫いたマザーは最高にロックなスピリットを持った人だったと思います。そんな『マザー・テレサ・メモリアル』の桜坂劇場での興行成績は、東京の東京都写真美術館についで第二位だそうです。期待より少ないなと思っていた僕らは罰当たりでした。でも本当に、マザーの言葉は染みるんですよ。
『マザー・テレサ・メモリアル』は7月3日、4日に、ロックな町、コザでも上映します。
2008年06月26日
『闇の子供たち』社内試写
この夏の話題になるであろう映画『闇の子供たち』の社内試写。午後九時から見るつもりだったのに、会報の入稿が遅れてしまい、スタッフにおいてきぼり。しかたがないので夜中の2時から、仕切り直しで試写スタート。寝てしまうかと不安もあったけど最後までガッツリと観てしまいました。幼児売春や、人身売買をテーマにしたヘビーな映画だと、いろんな人に吹き込まれていたんですが、僕も数年前に取材目的でタイに三週間いたことがあったせいか極端なショックはありませんでした。でも噂で聞いていた様なことが、生々しく描かれる様は圧倒的。監督の気合いは伝わってきます。桜坂劇場では9月中旬の公開です。詳細な感想はまたのちほど。
2008年04月13日
『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』感想
個人的には今年最大の邦画の目玉だと思っている『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』のプレミア上映とトークショーのため、若松孝二監督と出演者のARATAさん、大島信満さんを迎えた。さらに上映当日には脚本を担当された掛川正幸さんも来場。掛川さんは、わざわざこの日のために沖縄で仕事を作って、その経費でやってきたらしい。ありがとうございました。
映画はもちろん傑作でした。若い監督がノホホン、まったりとしたテイストの映画を作る今の時代に、御年72歳の若松監督が、観客に何かを突きつけるような骨太な映画を作っている。しかも私財を投じて。このエネルギーはなんなんだ。聞けば、映画の中で使用されるあさま山荘のセットは、監督の別荘だとか。映画のために水浸しになったうえに、破壊されると言う最後を迎えたらしい。それでも監督は笑顔で、「お金はなくなっても映画が撮り続けらればいいんだよ」と、映画作りの歓びを謳歌していました。すてきだと思います。さらに「歳をとったら冠婚葬祭に出すお金だけあれば良い」と、仲間との繋がりを大切にする一面も見せてくれた。そんな思いが若松さんの映画制作の原動力であることは、まちがいないと思う。
だから『実録・連合赤軍〜』はおもしろい。単に過激派の残酷な事件を興味本位に描くのではなく、思想的なシンパとして美化するのでもない視点。だからといって宙ぶらりんな、立ち位置でもない。同じ時代の空気を吸っていた人々の抵抗と挫折を、怒りと優しさ、そして悔やみといった共感と責任をもって描こうとした試みが、素直に観客の心に届く。それは時には痛いのだが、3時間10分の長尺を、一気呵成に見せてくれる。
僕にとって連合赤軍は《過激派》《怖い人》《不気味な若者》として、顔のないイメージだけの存在だった。この時代、おそらく多くの人がそうだと思う。この映画ではそんな彼らの顔が見えてくる。だかあチラシの裏にあった彼らの顔を、幅2.2m、縦0.6mの大判のポスターにして劇場内に貼りました。映画を観が人たちに、メンバーの一人一人の人生をもう一度思い浮かべてもらいたかったからだ。同世代の人なら、そこにまた違う誰かの顔をイメージするかも知れない。若い人なら、彼らの迷いに自分の顔を重ねるかも知れない。いずれにしても、この映画で、やっと僕らはあの事件と向き合うための顔を手に入れた気がした。

あのころと今と、何も変わっていない。ダメなものにダメと言える勇気は必要だし、同じまちがいをしないための反省も必要なんだよ。若松監督はそんな言葉を残して沖縄を後にしました。明日はブエノスアイレス、その後は韓国に行かれるそうです。
映画はもちろん傑作でした。若い監督がノホホン、まったりとしたテイストの映画を作る今の時代に、御年72歳の若松監督が、観客に何かを突きつけるような骨太な映画を作っている。しかも私財を投じて。このエネルギーはなんなんだ。聞けば、映画の中で使用されるあさま山荘のセットは、監督の別荘だとか。映画のために水浸しになったうえに、破壊されると言う最後を迎えたらしい。それでも監督は笑顔で、「お金はなくなっても映画が撮り続けらればいいんだよ」と、映画作りの歓びを謳歌していました。すてきだと思います。さらに「歳をとったら冠婚葬祭に出すお金だけあれば良い」と、仲間との繋がりを大切にする一面も見せてくれた。そんな思いが若松さんの映画制作の原動力であることは、まちがいないと思う。
だから『実録・連合赤軍〜』はおもしろい。単に過激派の残酷な事件を興味本位に描くのではなく、思想的なシンパとして美化するのでもない視点。だからといって宙ぶらりんな、立ち位置でもない。同じ時代の空気を吸っていた人々の抵抗と挫折を、怒りと優しさ、そして悔やみといった共感と責任をもって描こうとした試みが、素直に観客の心に届く。それは時には痛いのだが、3時間10分の長尺を、一気呵成に見せてくれる。
僕にとって連合赤軍は《過激派》《怖い人》《不気味な若者》として、顔のないイメージだけの存在だった。この時代、おそらく多くの人がそうだと思う。この映画ではそんな彼らの顔が見えてくる。だかあチラシの裏にあった彼らの顔を、幅2.2m、縦0.6mの大判のポスターにして劇場内に貼りました。映画を観が人たちに、メンバーの一人一人の人生をもう一度思い浮かべてもらいたかったからだ。同世代の人なら、そこにまた違う誰かの顔をイメージするかも知れない。若い人なら、彼らの迷いに自分の顔を重ねるかも知れない。いずれにしても、この映画で、やっと僕らはあの事件と向き合うための顔を手に入れた気がした。

あのころと今と、何も変わっていない。ダメなものにダメと言える勇気は必要だし、同じまちがいをしないための反省も必要なんだよ。若松監督はそんな言葉を残して沖縄を後にしました。明日はブエノスアイレス、その後は韓国に行かれるそうです。
2008年03月31日
大人の大学祭を堪能
桜坂劇場ってやっぱおもしろい。
と、自画自賛したくなるような一日でした。今日は桜坂劇場のワークショップ《桜坂市民大学第一期》の成果発表。題して《桜坂市民大学祭》。今までよりも講座数が増えただけあって出し物が今まで以上にバラエティ飛んだ楽しいイベントとなりました。。



まず劇場入口に、ぶくぶく茶の茶会席。真っ赤な日傘と、先生たちの着物姿が、いつになくしっとりとした雰囲気。その反対側では《バルーンアート》の受講生がクラウン姿で、色とりどりのバルーンを膨らませたり、捻ったり。ポップな世界が繰り広げられます。そしてその中央に鎮座するのは大怪獣ゴジ○の着ぐるみのレプリカ。これは次回始まる新講座《怪獣造型入門》の講師、比嘉ブラザーズの作品。


階段にはワイヤーアートに、グラスアート、映画絵看板講座の作品。廊下には写真講座、漫画講座、琉球古典絵画の模写が並ぶ。何でも来いな空間が広がる。


14:00からのステージは、空手の喜屋武先生と、桜坂劇場スタッフの下地さん。初代学長こと平良進さんのウチナー口による開会の言葉と続きます。そして落語講座を皮切りに次々と講座の出し物がつづきます。
途中、僕も参加して映画関係いのワークショップを紹介。力を入れている『バリアフリー上映研究ラボ』も、どうにかこうにか、とある映画の1シーンにサブ音声を生で入れる実演などをやってみました。この講座に関しては僕自身が学ぶことも多く、映画の勉強をしたい人にはオススメです。だって演出のことがわからないと、人の映画の台本なんか書けないですから。奥深いです。


で、毎度お楽しみのフラ講座によるフラダンスショーを堪能。みんなたった10回の講座でよくぞココまでと驚かされます。三線講座は、童謡『チューリップ』を使って三線を習うという画期的な指導法により、『ハッピーバースデー』『安里屋ユンタ』までの三曲を引きこなします。之だけ学べば、とりあえず宴会芸としても実用的ですね。そしてドハデないでたちのバルーンアートの皆さんも目を楽しませていただきました。
そして第2部の最初は、僕が司会で宮里千里、ゆたかはじめ両氏を迎えてのミニシンポジウム。今回初めて開くのですが、ワークショップとか生涯学習とかについてお話。学ぶとは最大の娯楽だと痛感。また宮里さん(那覇市職員)は、朝一番に不発弾撤去に立ちあい、知人の結婚式、そして桜坂市民大学祭と、異常に濃い一日を過ごしているというのも余談ながら楽しかったです。
さらに比嘉兄弟は第二期スタートの『怪獣造型講座』のアピールに来館。手には映画『鉄の子カナヒル』の巨大魚と、金城哲夫に捧げたベビー怪獣のパペットを持って登場。この講座は僕もうけるつもりです。そうそう、もちろんアニメーション講座と映画制作講座の完成作品の披露もございました。そして大トリは平良進さんの沖縄芝居。沖縄芝居の伝統を守ろうとする平良さんの情熱は、アマチュア相手のワークショップでもギンギンに燃えていました。頭が下がります。
とにかく映画にこだわらず、これだけの人材が集まるというのはすごいことなんじゃないかと考えていたら、祭の終了後(4時間超のステージ)に、ロビーで『お茶の間の哲学』講座の大城先生と、『琉球絵画』の佐藤先生と立ち話。アカデミックかつバカ話で盛り上がる。そんな中で映画と絵画と哲学とか、そんなごちゃまぜなトークライブとか面白いかもねと、変な企画も湧き上がる。そんなわけで、何かのヒントを含みつつ、大人の学園祭は幕を閉じました。
最期にここまで大勢の講師をハンドリングしてイベントを作ったスタッフのみなさんお疲れさまです。特に前回の学園祭で「もっとショーアップしなきゃダメだ」とブツブツ言ってひんしゅく買っていた仲井間さんは、今回リハーサル不足ながらも、しっかりBGMや映像を用意して、バージョンアップをしてくれていたのに感動しました。
そして何より来てくださったお客様、ありがとうございました。次は第二期の講座でお待ちしています。
と、自画自賛したくなるような一日でした。今日は桜坂劇場のワークショップ《桜坂市民大学第一期》の成果発表。題して《桜坂市民大学祭》。今までよりも講座数が増えただけあって出し物が今まで以上にバラエティ飛んだ楽しいイベントとなりました。。



まず劇場入口に、ぶくぶく茶の茶会席。真っ赤な日傘と、先生たちの着物姿が、いつになくしっとりとした雰囲気。その反対側では《バルーンアート》の受講生がクラウン姿で、色とりどりのバルーンを膨らませたり、捻ったり。ポップな世界が繰り広げられます。そしてその中央に鎮座するのは大怪獣ゴジ○の着ぐるみのレプリカ。これは次回始まる新講座《怪獣造型入門》の講師、比嘉ブラザーズの作品。


階段にはワイヤーアートに、グラスアート、映画絵看板講座の作品。廊下には写真講座、漫画講座、琉球古典絵画の模写が並ぶ。何でも来いな空間が広がる。

14:00からのステージは、空手の喜屋武先生と、桜坂劇場スタッフの下地さん。初代学長こと平良進さんのウチナー口による開会の言葉と続きます。そして落語講座を皮切りに次々と講座の出し物がつづきます。途中、僕も参加して映画関係いのワークショップを紹介。力を入れている『バリアフリー上映研究ラボ』も、どうにかこうにか、とある映画の1シーンにサブ音声を生で入れる実演などをやってみました。この講座に関しては僕自身が学ぶことも多く、映画の勉強をしたい人にはオススメです。だって演出のことがわからないと、人の映画の台本なんか書けないですから。奥深いです。


で、毎度お楽しみのフラ講座によるフラダンスショーを堪能。みんなたった10回の講座でよくぞココまでと驚かされます。三線講座は、童謡『チューリップ』を使って三線を習うという画期的な指導法により、『ハッピーバースデー』『安里屋ユンタ』までの三曲を引きこなします。之だけ学べば、とりあえず宴会芸としても実用的ですね。そしてドハデないでたちのバルーンアートの皆さんも目を楽しませていただきました。そして第2部の最初は、僕が司会で宮里千里、ゆたかはじめ両氏を迎えてのミニシンポジウム。今回初めて開くのですが、ワークショップとか生涯学習とかについてお話。学ぶとは最大の娯楽だと痛感。また宮里さん(那覇市職員)は、朝一番に不発弾撤去に立ちあい、知人の結婚式、そして桜坂市民大学祭と、異常に濃い一日を過ごしているというのも余談ながら楽しかったです。
さらに比嘉兄弟は第二期スタートの『怪獣造型講座』のアピールに来館。手には映画『鉄の子カナヒル』の巨大魚と、金城哲夫に捧げたベビー怪獣のパペットを持って登場。この講座は僕もうけるつもりです。そうそう、もちろんアニメーション講座と映画制作講座の完成作品の披露もございました。そして大トリは平良進さんの沖縄芝居。沖縄芝居の伝統を守ろうとする平良さんの情熱は、アマチュア相手のワークショップでもギンギンに燃えていました。頭が下がります。
とにかく映画にこだわらず、これだけの人材が集まるというのはすごいことなんじゃないかと考えていたら、祭の終了後(4時間超のステージ)に、ロビーで『お茶の間の哲学』講座の大城先生と、『琉球絵画』の佐藤先生と立ち話。アカデミックかつバカ話で盛り上がる。そんな中で映画と絵画と哲学とか、そんなごちゃまぜなトークライブとか面白いかもねと、変な企画も湧き上がる。そんなわけで、何かのヒントを含みつつ、大人の学園祭は幕を閉じました。
最期にここまで大勢の講師をハンドリングしてイベントを作ったスタッフのみなさんお疲れさまです。特に前回の学園祭で「もっとショーアップしなきゃダメだ」とブツブツ言ってひんしゅく買っていた仲井間さんは、今回リハーサル不足ながらも、しっかりBGMや映像を用意して、バージョンアップをしてくれていたのに感動しました。
そして何より来てくださったお客様、ありがとうございました。次は第二期の講座でお待ちしています。
2008年03月05日
藤木さん
役者の藤木勇人さんと劇場で打合せ。イベントをいっしょにやることになったのだ。藤木さんは事務所を東京に移すそうで、ますます忙しくなるらしい。
それと前後してワークショップのために平良進さんと、平良とみさんも劇場に。さらに一時間後に桜坂市民大学のラジオCMの収録のために兼嶋麗子さんも来館。
数珠繋ぎに『パイナップルツアーズ』からのお付き合いしている役者さんがすれ違っていった。
なんかの前触れか…。
その後、バリアフリー上映ラボも、あれこれ盛り上がりました。その辺はこちらでレポート。
http://simindaigaku.ti-da.net/e1992242.html
ワークショップに関しては、そちらのブログで連載中ですので、ぜひ気にかけていてください。
もともとワークショップにラボという分野を作ったのは、この『バリアフリー上映ラボ』がやりたかったからってこともあって、けっこう楽しんでます。
30日の市民大学祭では楽しめる発表を期待していてください。
それと前後してワークショップのために平良進さんと、平良とみさんも劇場に。さらに一時間後に桜坂市民大学のラジオCMの収録のために兼嶋麗子さんも来館。
数珠繋ぎに『パイナップルツアーズ』からのお付き合いしている役者さんがすれ違っていった。
なんかの前触れか…。
その後、バリアフリー上映ラボも、あれこれ盛り上がりました。その辺はこちらでレポート。
http://simindaigaku.ti-da.net/e1992242.html
ワークショップに関しては、そちらのブログで連載中ですので、ぜひ気にかけていてください。
もともとワークショップにラボという分野を作ったのは、この『バリアフリー上映ラボ』がやりたかったからってこともあって、けっこう楽しんでます。
30日の市民大学祭では楽しめる発表を期待していてください。
2008年03月03日
『≒草間彌生』と東京散歩
劇場にはいろんな人が訪ねてくるが、今日はビー・ビー・ビー株式会社のIさんが訪ねてきた。今度、『≒草間彌生 わたし大好き』という作品でお世話になる配給会社である。これは現代アートの作家を紹介していくドキュメンタリーのシリーズ(たぶん)の一本。なかでも今回の草間彌生さんの作品は好調らしい。彼女の作品は、かわいらしくも見えるし、怖くなることもある。奥深くて、観る人の感情に直接訴えてくる力がある。お土産に『東京ばなな』と『≒草間彌生』の缶バッチをいただく。これは劇場で上映するときも特典につける予定です。(写真上)公開は5よりも6月かなあ〜。て感じです。
話題の『転々』が好調。実際に劇場で見るとまた笑える。お客さんも多いのでみんなで盛り上がれる。地味な作品ながら、なんといっても三浦友和最高!実は僕は日本の俳優で一番好きなのは三浦友和なのだ。『歓喜の歌』の小林薫が本当に巧い役者だとしたら、三浦友和はもう存在感がね、格段に泣ける。まあそんな僕の思い入れはおいといても、充分楽しめます。(真) 2008年02月29日
街元気セミナー
本日、桜坂劇場のホールAで『街元気セミナー in 沖縄~中心市街地賑わい創出の仕掛け~』という講演とシンポジウムが開催されました。シンポジウムって、なんかよくわからないまま話をして終わりというのも中にはありますが、今日の話しはすごく刺激を受ける、内容の詰まった場になりました。
第一部の中小機構・まちづくりサポーターの服部年明さんの講演は具体的な事例がおもしろく、喧嘩しながらも街を再生させてきたようすが目に浮かぶような話でした。桜坂劇場もそうですが、痛みを追わなければ変わらないことはいっぱいある。逆に言うと痛みを避けてずるずるとやっていると、どんどんダメになるのね、ってことですよね。
第2部は那覇とコザから街造りに関わっている人々を呼んでシンポジウム。僕も登壇して話をしました。他の登壇者はそれぞれ街のあちこちと連携をとったり、まとめたり大きな仕事をしている人ばかり。僕らの場合は街造りと言うよりは劇場運営で手がいっぱいなのですが、集客施設としての劇場を守ることが地域の役に立つはずだと言う自覚は持っていたいと思うので、そんなことから話をさせてもらいました。みんなに共通して言えることは、バラバラな人々を結びつけていくたいへんさと、土地に対する愛着ということでしょう。
人が集まらなければ劇場は成立しないわけで、街というくくりの中で桜坂劇場がどういう位置にいなければならないのか。そんなことを僕も含め、スタッフ一人一人が意識しなきゃいけません。反省も含め考えさせられます。
第一部の中小機構・まちづくりサポーターの服部年明さんの講演は具体的な事例がおもしろく、喧嘩しながらも街を再生させてきたようすが目に浮かぶような話でした。桜坂劇場もそうですが、痛みを追わなければ変わらないことはいっぱいある。逆に言うと痛みを避けてずるずるとやっていると、どんどんダメになるのね、ってことですよね。
第2部は那覇とコザから街造りに関わっている人々を呼んでシンポジウム。僕も登壇して話をしました。他の登壇者はそれぞれ街のあちこちと連携をとったり、まとめたり大きな仕事をしている人ばかり。僕らの場合は街造りと言うよりは劇場運営で手がいっぱいなのですが、集客施設としての劇場を守ることが地域の役に立つはずだと言う自覚は持っていたいと思うので、そんなことから話をさせてもらいました。みんなに共通して言えることは、バラバラな人々を結びつけていくたいへんさと、土地に対する愛着ということでしょう。
人が集まらなければ劇場は成立しないわけで、街というくくりの中で桜坂劇場がどういう位置にいなければならないのか。そんなことを僕も含め、スタッフ一人一人が意識しなきゃいけません。反省も含め考えさせられます。
2008年02月21日
『小梅姐さん』は戦前のJ-POPスターだ?
今日は早朝の空いた時間を使って『小梅姐さん』の特別試写。小梅姐さんとは、戦前から活躍していた民謡歌手で、本業は芸者さん。全国的に「黒田節」「炭坑節」を全国的にヒットさせた大スターだ。昨年東京でチラシを見つけて気になっていた。まるで蝶々夫人を歌うオペラ歌手のように恰幅のいい着物姿の芸者さんの写真は、聞く前からその声の素晴らしさを期待させられてしまうのだ。そのご制作に関わったスタッフが劇場に売り込みにやってきた。感覚的にこういう作品は、高齢者受けの良い作品だと感じた者の、日本民謡というジャンルが、どれだけ沖縄のおじぃ、おばぁにうけるのかは、全く未知数なのだ。その辺の状況をつかむための早朝試写会でもあったわけです。
で、その試写の結果はまずまずの手応え。見にきたときに赤坂小梅といってもピンと来ていないようだったので心配だったのですが、いざ映画を見終わると、小梅さんの生涯の物語はもちろん、懐かしい歌が多く聴けて嬉しいという声が聴けました。そう、歌手のことは知らなくても、音楽は覚えていたわけです。
白百合クラブのメンバーもそうなんですが、昭和初期の人々というのは日本民謡もけっこう知っているんですね。琉球民謡があるから日本民謡は聞かないということはないんですね。考えてみたら、今だって沖縄の人は沖縄民謡を聞くけど、一番流行っているのはJ-POPなわけで。本土で流行っていたのなら、沖縄の人も知っていて当然なはず。とは言え、赤坂小梅をどうやって、観客の記憶に結びつけるか。そこは一つの宣伝のポイントでしょう。
公開は5月の予定。できれば母の日にオバアがいっぱいやって来るような状況を期待しつつ、もろもろ計画中です。
(真喜屋)
2008年02月20日
今月の業務試写
『線路と娼婦とサッカーボール』と『ベティ・ペイジ』の2作品を試写。マスコミのかたよりも、最近グアテマラから帰ってきたというJICAの関係のかたが大挙来てくださいました。そう『線路〜』はグアテマラが舞台の傑作ドキュメンタリー。もちろん評判はすこぶる良い。今回の上映もJICAさんが協力して盛り上げくれています。グアテマラでの活動状況の写真パネル展。そしてこれが素敵なのだが、グアテマラの服や小物の展示販売(写真)。中南米の色彩感覚ってポップとキュートの間くらいで、なんかいいあんばいな気持ちよさがあります。けっこう見とれている人も多い。映画に引っかけて、こういう展示はどんどんしていこうと思います。続きを読む
2008年02月02日
『中学生日記』上映
山下敦弘監督の『中学生日記』の特別上映。これは『童貞。をプロデュース』の松江監督が一押しだったので、『天然コケッコー』上映にあわせて、土曜夜の一夜限りの上映。一回だけの上映とはもったいないが、すでに1月のプログラムが固まったところで無理やりねじ込んだ作品なのでしょうがない。22:40からの上映というハンディがあった24人の観客が訪れる。それ以外にも仕事の終わったスタッフも集まってなんか賑わっていた。この上映にあわせて、東京から映画の出演者たちが三人やってきた。
上映終了後、簡単なトークショー。撮影秘話などをお聞きしました。なれないトークショーに役者三人が固まるのが、逆におもしろくて観客に設けていました。この日販売した『中学生日記』のDVDも完売。映画が受入れらたってことですね。安心。
この映画はニューシネマワークショップの授業の一環として作られた物で、講師の山下監督が、生徒達にシチュエーション説明して、芝居を作りながら物語も作っていったもの。僕がコザでやっているものと、基本はいっしょだけど、こっちはもっと時間をかけて芝居を作っている。
最近は、いわゆる深夜番組ノリな映画があるが、ギャグの連打に力は注ぐが、キャラクターに深みのない作品が多い。感情移入するからこそ、シュールな展開でも笑えるし、見終わった後も心に残るはずなのだが、その場凌ぎのギャグで盛り上がろうというのは、チャレンジとして甘いなあと思う。でも『中学生日記』や、夏に公開した山本政志監督『聴かれた女』のように、映画監督が作る作品は低予算であっても、キャラクターの描き込みがしっかりしていて、ギャグへの感情移入や、見終わった後の充実感が違う。すべてがそうだとは言わないが、少なくとも『中学生日記』のおもしろさは、作り手の映画監督らしさからくる物語への信頼と愛情を感じました。機会を作ってまた上映してみたいです。
上映終了後、簡単なトークショー。撮影秘話などをお聞きしました。なれないトークショーに役者三人が固まるのが、逆におもしろくて観客に設けていました。この日販売した『中学生日記』のDVDも完売。映画が受入れらたってことですね。安心。この映画はニューシネマワークショップの授業の一環として作られた物で、講師の山下監督が、生徒達にシチュエーション説明して、芝居を作りながら物語も作っていったもの。僕がコザでやっているものと、基本はいっしょだけど、こっちはもっと時間をかけて芝居を作っている。
最近は、いわゆる深夜番組ノリな映画があるが、ギャグの連打に力は注ぐが、キャラクターに深みのない作品が多い。感情移入するからこそ、シュールな展開でも笑えるし、見終わった後も心に残るはずなのだが、その場凌ぎのギャグで盛り上がろうというのは、チャレンジとして甘いなあと思う。でも『中学生日記』や、夏に公開した山本政志監督『聴かれた女』のように、映画監督が作る作品は低予算であっても、キャラクターの描き込みがしっかりしていて、ギャグへの感情移入や、見終わった後の充実感が違う。すべてがそうだとは言わないが、少なくとも『中学生日記』のおもしろさは、作り手の映画監督らしさからくる物語への信頼と愛情を感じました。機会を作ってまた上映してみたいです。
タグ :山下敦弘
2008年02月02日
シネアドがスタート
今日からいろいろ封切り。話題作の『天然コケッコー』や『PEACE BED アメリカ vs ジョン・レノン』など、今日一日で9本の映画を上映する。しかも今日からシネアドがスタートするので映写担当は大変だ。
シネアドはビデオ・プロジェクターで上映する予告編。右の画像はその一カット。上映時間からスタートではなく、客入れ中の休憩時間での上映となる。一般の広告とライブ情報や、PANAの一押しグッズ、Cha-gwaの今月のメニューなど、大画面で宣伝します。余裕が出来たらジングルなど入れて凝った作りにしてみたいと考えています。一般公募しておもしろいキャッチなんか上映するというのも、クリエイターの刺激になるならやって良いなと思います。今後の展開をお楽しみに。
広告ついでにもうひとつ。劇場の前で看板職人の喜納さんと立ち話。桜坂劇場には幅5メートルくらいの大看板がある。昔懐かしの手書き看板で、微妙なソックリ度というか、似てない感じが味わえる逸品だ。現在は『歓喜の歌』を掲揚中。
喜納さんは桜坂市民大学でも看板描きの講座を担当していただいている。これからは受講生の作品を屋外に立てて地域の呼び物にしていくのだそうだ。ワークショップで作ったものは、とにかく世に出していくべきだと思っているので、ぜひぜひ大々的にやってちょうだいと、お願いする。
シネアドはビデオ・プロジェクターで上映する予告編。右の画像はその一カット。上映時間からスタートではなく、客入れ中の休憩時間での上映となる。一般の広告とライブ情報や、PANAの一押しグッズ、Cha-gwaの今月のメニューなど、大画面で宣伝します。余裕が出来たらジングルなど入れて凝った作りにしてみたいと考えています。一般公募しておもしろいキャッチなんか上映するというのも、クリエイターの刺激になるならやって良いなと思います。今後の展開をお楽しみに。
広告ついでにもうひとつ。劇場の前で看板職人の喜納さんと立ち話。桜坂劇場には幅5メートルくらいの大看板がある。昔懐かしの手書き看板で、微妙なソックリ度というか、似てない感じが味わえる逸品だ。現在は『歓喜の歌』を掲揚中。喜納さんは桜坂市民大学でも看板描きの講座を担当していただいている。これからは受講生の作品を屋外に立てて地域の呼び物にしていくのだそうだ。ワークショップで作ったものは、とにかく世に出していくべきだと思っているので、ぜひぜひ大々的にやってちょうだいと、お願いする。
2008年02月01日
公民館の時間とテルミン
那覇の若狭公民館で出張上映。僕の地元ということで、時間を盗んで様子を見に行く。上映はブルーレイディスクを使ったハイクオリティなデジタル上映。作品は『伊豆の踊子』。ご近所の老人を中心にお客さんは悪くないくらいは入っていました。と思ったら、母親が近所のお友だちと見にきていました。感謝。ついでに公民館の中をぐるぐる回り、ほのほのぼのとした雰囲気にノックアウトさせられる。激しくジェラシーだぜ!…なんというか地域との密着性というのでしょうか。お客さんが生活の延長でやって来る感じ。それがすごいなと感じる。桜坂劇場の周りは民家が少ないので、子どもが少ない。だから公民館の図書室で、幼児を連れたお母さんが絵本を選んでる感じなんかは、ただひたすらいいなあ〜と思って眺めてました。桜坂劇場もまだまだだなと痛感。それは商業施設と公共施設の越えられない壁なんでしょうか?無い物ねだりか…。でも昔、台湾のおしゃれな本屋、誠心書店で床にペタンと座り込んで絵本を読み聞かせ中の母子を見かけたことがある。なんかね、いいっすよ。そんな風に記憶に残るような場所になっていけば嬉しいなと、思うのであった。
スタッフの一人がテルミンを持ってきた。テルミンは旧式の電子楽器。ビービー音をたてているが、アンテナにてを近づけると音程や音量が変わる素敵な楽器。50年代SF映画のUFOが飛んでくるときの効果音なんかそうである。『大人の科学』という雑誌の付録で、手のひらサイズの頼りない奴だが、アンプにつなげばそれなりの音になるだろうと思う。これいっぱい集めてバンド作れないかと真剣に考える。ワークショップあたりでやりたいね。 2008年01月30日
『鉄の子カナヒル』ワークショップ付き上映か?
打合せの多い日、2月29日に桜坂劇場で開催される町おこしについてのシンポジウムに、僕もパネラーとして登壇することになり、その打合せ。なにかキーワードなどを聞かれるが、思いつかないので保留。
その後、比嘉ブラザースと打合せ。もちろん双子の人形アニメーター。『鉄の子カナヒル』(儀間比呂氏原作)の監督たちだ。実は今度、彼らの作品上映と人形アニメ・ワークショップをセットにした上映会を企画している。その内容に関しての打合せである。映画を上映して、そのあと舞台上で子供たちとアニメーションの実演をする。絶対おもしろい企画になると思います。お楽しみに。
その後、比嘉ブラザースと打合せ。もちろん双子の人形アニメーター。『鉄の子カナヒル』(儀間比呂氏原作)の監督たちだ。実は今度、彼らの作品上映と人形アニメ・ワークショップをセットにした上映会を企画している。その内容に関しての打合せである。映画を上映して、そのあと舞台上で子供たちとアニメーションの実演をする。絶対おもしろい企画になると思います。お楽しみに。 2008年01月29日
『サルサとチャンプルー』波田野監督来沖
『サルサとチャンプルー』の波田野監督が来沖。映画がスタートする2/9は大学が忙しいということで前倒しでプロモーションにきてくれたのだ。『サルサとチャンプルー』はキューバに移民した日系人の物語だが、沖縄からの人々が軸になって描かれている。そんなわけで沖縄が先行スタート。東京ではアップリンクで上映です。波田野さんは日大で多くの映画人を育ててきて、もう70歳くらいの年齢。いかにも大学教授という風貌からはそうぞうできないバイクマニアでもある。聞けば60を過ぎてからユーラシア大陸の横断をしたそうだ。そんな波田野さんがキューバで見た移民達の歴史。ぜひ劇場でごらんください。
タグ :サルサとチャンプルー波多野哲朗


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