2009年12月28日
『岸辺のふたり』は一生ものの映画
正月早々に、さりげなくだが画期的な試みがあります。同時上映を合わせても11分の短編映画を、500円均一の料金で上映するってこと。画期的ですよこれは。実はこの『岸辺のふたり』(同時上映は同監督のさらに短編)は、もう何年も前から上映したくてしょうがない作品だったが、短過ぎて通常の映画上映の枠や料金体系にはめることができなかった。でもいい作品だし、配給会社の人とも一番いい形で上映できるチャンスを狙っていた。
ではこの作品の何が良いのか?僕個人としては二つの理由がある。まず作品の内容が素晴らしいこと、そしてもう一つは映画の作り手にとって重要な、物語の構築の仕方が短編ゆえにわかりやすく、アニメ学校や脚本学校の教科書にしたいくらいに良くできていることだろう。
物語はシンプル。ボートを漕いで出かけていく父親を見送る幼い娘ではじまり、あとはその帰りをひたすら待ちわびる娘の人生を追っていくだけの話。父親が帰ってこない理由はわからないまま、待ち続ける娘の喪失感が心に染みる。誰もが何かしら持っている、愛しい人(物)を失った喪失感と、深い愛情を刺激するのはまちがいない。たった8分の映画なのに、いつまでも糸を引く。
『岸辺のふたり』上映案内→
『岸辺のふたり』で秀逸なのは、娘の成長の過程を抜きだして、その世代世代での彼女の微妙な父親への態度の変化を見せる巧みさだ。彼女の父親への思慕の念は変わらないので、態度の変化は彼女自身の生活環境の変化を映し出している。彼女自身が少女だったり、思春期だったり、結婚をしたりする変化を、説明的なシーンを増やすことなく岸辺に立ち寄る娘の姿だけで感じさせるのだ。僕は何度もこの短編を見返したが、その度に前回は気付かなかった行間の物語が頭に浮かぶ。実際には描かれていない、映し出されてもいない場面を思いつき、見た気分になってしまう。理屈で想像するのではない。誰もが持っている感覚で共感できるものなのだ。ただそれがものすごい深い所を刺激する。それがこの映画の良さだと思う。
細かいところを一つ言うと、この父親はアニメ的な誇張で頭が小さく描かれている。それゆえに大きな背中が印象的。それは子供から見た大人というか、子供のころの記憶の中にいる親のすがたでもある。さりげないが、そういう細かい描写が、いちいちグッと来てしまう。自分でチラシをデザインしながら、映画のメインビジュアルでもある、並んで自転車に乗る大きな背中の父親と、本当に小さな娘の後ろ姿が、遠い記憶の中の一コマのように焼き付いて離れない。
まあそんな感じで、オマケも合わせて11分のショートプログラム。口コミが全てのこの企画にいったいどれだけの人が反応してくれるのか?あらたな可能性が開けるのか?不安と期待で心が揺れてます。
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