2008年07月13日

『靖国 YASUKUNI』を巡る問題に関する私見

7月12日(土)より桜坂劇場でも話題作『靖国 YASUKUNI』(以後、『靖国』)の上映がスタート。初日に300人を超える観客に足を運んでいただきました。そういうところで、この映画に対する自分の意見をまとめてみました。映画館を代表した意見というよりは、個人的な思いです。また助成金の問題などは、劇場での上映と直接関係ないことでもありますが、関連する問題だし、自分も過去に『パイナップルツアーズ』という映画でもらったことがあるので見過ごせないかなと思い書いておきました。

上映中止問題
他の劇場が選択した結論に、どうこう言う気はまるでありません。同じことが桜坂劇場では起こらないと言いきる自身もありません。また原因が右翼だけにあるとも思ってません。簡単には割り切れない複雑なことが起こったように思えます。ただし、この件が大きく報道され、結果として映画の認知度を上げ、作品としてはより多くの観客を獲得したのは皮肉な事実。このことで右翼の人々が、これ以上ことを荒立てるのは得策でないと考えたとすれば、東京での上映中止という犠牲が、全国展開をスムーズにしたと言えないこともないでしょう。ただ、劇場運営を行う人間として、一度は上映を決定し、公開日も発表した作品をドタキャンにするというのは、その覚悟を問われることなのだという事実を肝に銘じたいと思います。

助成金の問題
ともかく助成金をあたえる作品の選定に対して、政治家がとやかく言うのは意味がわからない。そもそもそういう圧力を避けるために専門的知識を持つ第三者による審議会が作られるわけで、そこで選んだものをイデオロギー的な色眼鏡で難癖つけるのは本末転倒。選択の是非は納税者が映画を観て決めることではないでしょうか。国会議員が公開前の作品に対して世論を作って、返金請求を訴えるなんてことが通るとしたら、助成金をもらうためには最大与党の政策に沿った映画を作るしかなくなってしまう。もはや文化庁の助成金ではなく、国策映画の奨励事業になってしまう。

だいたい芸術というのは時として現在の状況に異論を投げ掛けたり、固まった常識を揺り動かして、他の視点を持ち込む道化師のようなもだと思う。そういう力を持った作品をセレクトするという考え方なら『靖国』への出資がまちがっているとは僕には思えない。ともかく今回のように「日本文化を否定的に扱う作品に助成するべきではない」という某議員の考え方を聞いていると、ナチスが印象派など近代芸術を退廃芸術と位置づけ、その作家たちを公職から追放し、国家にとって健全で純粋なロマン主義的写実主義を持ち上げまくった歴史を思い出す。

また監督が中国人で、製作の母体は中国の製作会社。日本人のプロデューサーが一人混じっていだけの映画『靖国』を、日本映画への助成金対象とすることに対して反論が論が持ち上がっている。じゃあ、これがまったく別の、例えば『ラストサムライ』のように、日本文化にリスペクトを送るような映画だったら、誰か文句を言っただろうか?仮定の話をしてもしょうがないが、重要なのは審議委員に、今の日本に必要とされるであろう映画に対して覚悟を持って出資を決める権限をきちんとあたえることだと思う。その作品に一人でも日本人がかかわっているなら、出資の対象として排除する理由にはならないのではないか。そもそも『靖国』一本をまな板にあげて、助成金の審査にいちゃもんをつけるというのは感情的と言われてもしょうがない。

出演者の問題
刀鍛冶の刈谷さん、そしてメインビジュアルに使われてしまった自衛官。その双方から映像使用を差し控えてほしいという声が出ていることが問題視されていた。そんな声の出ている映画を上映するのはけしからんと桜坂劇場に対して思っている人も中にはいるかも知れない。しかしドキュメンタリーとはおおむねそういうものです。それに刈谷さんに関しては、最終的に映画が完成し、公開を直前に控えているという事実を知ってからは、映像使用を許可していると聞いている。つまり先の意見は、「映画がまだ完成しておらず、修正が可能であれば」という前提付きのものだったという。おそらく刈谷さんの意思として、自分が映画に使われて誰かに迷惑がかかることも、上映直前に文句をつけて制作者に迷惑をかけることも、同じように避けたいことだったのではないだろうか。刈谷さんの実直な人柄が感じられる。もし政治家がそういう人を政治的に追い込んで「使用差し止め」の言説をとったのであれば、これは問題であろうし、そんな状況から刈谷さんを守れなかった製作側の不手際も反省点としてあげられると思う。

そんな状況だからこそ、僕は上映をするべきだと思っている。なぜなら映画の中で刈谷さんの存在感は強烈なのだ。確かに映画というのは、編集や構成などで、技術的に事実をねじ曲げることはできる。そうやってプロパガンダ映画なるものは作られてきた。しかし、映像というのは、監督の意図を越えてもっと雄弁になることもある。その気になれば、観客は映像から、監督が意図しない事実、隠れた真実を読み取れる。それがドキュメンタリーのおもしろさだと個人的には思いっている。少なくともこの映画での刈谷さんの素敵な笑顔と、実直な生き様、そして日本文化への深い思いに嘘やイヤミは感じられない。演出がどうこうという域を超えた存在感なのである。こればかりは観ないとわからない。だから出演者に対して責任をとるならば、きちんと上映をするべきなのです。そこに映る刈谷さんと靖国神社との関係、そして戦争という遺恨をどのようにとらえるか。そこをきちんと意見や感想をぶつけあえばいいのです。

『靖国 YASUKUNI』の存在意義

だいたい、この映画の公開によって、右翼の人々の言論を聞く機会が増えたのも事実。右も左も一般の人も、価値観や日ごろの思いをぶつけ合うことができ、また相手の考えを聞いてみたいと思えるようになったのは、共通のテーマとして『靖国』という映画の存在があったからでしょう。そして、そういう作品は外国人であるリ・イン監督による黒船的視点があったからこそ成立している。『靖国』という映画の存在意義はまさにここにある。『靖国』という映画が永遠に語りつがれる名作になるかどうかはわからないが、今の日本に大きな意味をあたえる作品になる可能性を持っている。だから助成金の対象としてなんら問題はないのじゃないのか。

あちこちで書いたが、僕は終戦記念日の靖国神社に何度も足を運んだことがある。その経験からすれば、この映画に映し出されている靖国神社の姿は、ほんの一部でしかない。その半端な描き方に警戒心を抱く右翼の心配もよくわかる。でも、観客の自身がもっと知りたい、話を聞きたいと思う欲求も僕らは信じていたい。偏った思考を揺り動かす振れ幅を生み出したいし、着地点を見つける材料を提示したい。そしてそこで論議が起こるのを観て見たい。突き詰めれば劇場の使命ってそういうことじゃないかと思う。

最後に宣伝ですが、まずは映画を観てください。そして靖国神社だけでなく、今回の問題についていろいろ知りたいと思う方は、劇場でも売っている『映画 靖国 上映中止を巡る大議論』(創出版)を読むことをオススメします。事実関係や、様々な当事者の感想がまとめられていて、読みごたえがあります。  

Posted by 真喜屋 at 16:28Comments(6)TrackBack(0)映画紹介