2009年06月20日
『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』の公開時期について
いよいよ全国では『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』が封切られます。
そのため、桜坂劇場にも公開時期について問合せがチラホラきています。
しかし、残念ながら沖縄での公開は10月までずれ込みそうな気配です。
言い訳ではないですが、状況を説明しておきたいと思います。
興行の世界の慣例として、映画の上映する期間というのは封切日に決まります。初日と二日目あたりの観客動員をみて、何週間上映するというのを決めるわけです。つまり初日が来るまでは、桜坂劇場のような2順目の劇場は、フィルムがいつ届くのかわからないわけです。
そしてまた間の悪いことに、6月末には桜坂劇場は、9月の予定を決めなければいけない時期でもあります。
ここで確約がとれないと、10月に上映ということになってしまうため、配給担当者と連絡を取りあっている状況です。
まギリギリまで粘って確約をとれても9月末というのが現状だと思っていて下さい。
今月末には、日程が出ると思います。
そのため、桜坂劇場にも公開時期について問合せがチラホラきています。
しかし、残念ながら沖縄での公開は10月までずれ込みそうな気配です。
言い訳ではないですが、状況を説明しておきたいと思います。
興行の世界の慣例として、映画の上映する期間というのは封切日に決まります。初日と二日目あたりの観客動員をみて、何週間上映するというのを決めるわけです。つまり初日が来るまでは、桜坂劇場のような2順目の劇場は、フィルムがいつ届くのかわからないわけです。
そしてまた間の悪いことに、6月末には桜坂劇場は、9月の予定を決めなければいけない時期でもあります。
ここで確約がとれないと、10月に上映ということになってしまうため、配給担当者と連絡を取りあっている状況です。
まギリギリまで粘って確約をとれても9月末というのが現状だと思っていて下さい。
今月末には、日程が出ると思います。
2009年05月17日
がんばれ県立博物館・美術館!
最近、もっともがっかりしたことは、沖縄県立博物館・美術館(以下、県立美術館)が、すでにNY、東京と巡回してきたグループ展『アトミックサンシャインの中へ 平和憲法第九条下における戦後美術』の展示から、天皇の画像をコラージュした連作『遠近を抱えて』をはずしてしまい、なおかつその理由や基準を曖昧にしていることです。そりゃあルーブル美術館と肩を並べるのはむりとしても、金沢や青森の県立美術館のように刺激的な展示と美術教育をすすめるフラッグシップになるのでは!と期待していただけにね。事なかれ主義のもやもやだらけの状態に、県民税払っている身としてはなんのこっちゃい!と憤りひとしおです。でも、それならばと調べてみると、大浦さんは映画も作っていて、『遠近を抱えて』から通底するテーマがながれている。ならばということで桜坂劇場で最新作を上映することにしました。ちょうど、レイトショーで『ゆきゆきて神軍』を上映することにしていたので、その二作品のミニ特集です。並べると《タブー》というテーマがハッキリ見えてくる。タナボタ企画ですみませんが、「リアルタイム」「時代に敏感」ということで観て欲しい二本です。

『ゆきゆきて神軍』は、歴史に残るドキュメンタリー映画の名作。反天皇制、戦争の責任を叫ぶ主人公というイメージが強烈過ぎて、東京で大ヒットしたにも関わらず、沖縄の劇場では上映ができなかった作品。実は港に停泊中のピースボート船内で、監督のシンポジウム付きで上映されただけでした。学生のころ見に行ったのが懐かし。一方、渦中の人、大浦信行さんの最新作『9.11-8.15 日本心中』は、今回の県立美術館の問題とは直接関係ありませんが、大浦さんの抱えるテーマは先に述べたように一貫しています。
特集の日程は桜坂劇場公式サイトで
この二つ映画に起こった状況が意味するのはなんだろう?沖縄は戦争や天皇制の問題に対してもっと進歩的な県だと思っていたけど?…。そんな疑問をもとに、今回の特集を組みました。沖縄県立博物館・美術館の問題は、現在進行形ということもあり、ネットなどで確認していただくと、この映画のこと、特集のことがわかりやすいかと思います。ぜひググって予習しといてください。
で、問題の大浦信行さんのコラージュ作品『遠近を抱えて』ですが、5/16(土)~5/31(日)の期間、南風原の画廊沖縄で展示されています。初日に行ってきましたが、いやあ想像以上に美しい作品でした。僕の私感ですが、作品から大浦さんの天皇に対する悪意は感じませんでした。大浦さんも『この作品は自画像』だとおっしゃっているように、日本人として生まれ育つ中で、自然と身体すり込まれた天皇と天皇制という制度への、何とも言えない愛憎が感じられましたが。それは天皇批判というよりも、自己批判に近い。そのうえで、我々観客に「あなたはどうなんですか?日本をどうしたいんですか?」と問題提起する深みを持っている。攻撃的というよりは、むしろ穏やかです。それゆえに静かにくすぶり続けるエネルギーを感じました。どうぞ気になる方は、画廊沖縄へ足を運んで下さい。こういう作品を公共施設で展示できないのが、今の沖縄の現実なんですね。
一応誤解のないように書いておきますが、県立美術館が、自主判断で展示の内容を決めること自体にケチをつける気は実はありません。むしろそのことが言論弾圧と言われてしまうのも正直すっきりしません。僕個人の考えですが、劇場にも主体性があるから僕らは作品を選びます。ただ僕らが県立美術館に近いことをするときは、その基準をハッキリさせます。「作家と合意の元」なんて責任回避で丸め込むもよろしくない。劇場の意思として作家に条件を飲んでもらったということをしっかりアナウンスすべきだと考えます。合意したから文句を言うなというならそれは立場を利用した弾圧になる。作家が身体をはって世に問うたものを表に出さない劇場側の基準は身体をはって示さないと失礼でしょう。簡単にいえば、拒否する権利を持つなら、拒否した責任を劇場はおわなきゃいけない。そもそも、その基準こそが劇場の主体であり、プライドであり、売りなんだから恥じることも隠すこともないはず。劇場の主体性を示すためにも、どんどん公言すべきでしょう。影響力のある県立美術館が主体性のないことをして、劇場が「展示を選ぶなんて言論弾圧だ!」みたいな論調が広がると正直、町場の零細企業としては、いい迷惑としか言えません。基準の内容で、世間からバカにされたとしても、思っていることを身体をはって言えばいい。作家を守り育てるのも、作家とガチで勝負するのも劇場の仕事。それをせずに一方的になかったことにしようとするなら、立場を利用した弾圧と言われてもしょうがない。まあ結局そういうことに行き着いちゃう。悲しいね、期待していただけに…。公的施設に主体性を問うのはまちがいなんでしょうか?
画廊沖縄で作家の大浦さんと立ち話をしていて、「たぶん美術館に基準はないと思う。事なかれ主義なんだよね」という勝手な、極めてもやもやの残る結論を持ったまま、僕は画廊沖縄を後にしました。実は隠してるわけじゃなくて、責任をとりたくないだけだということでしょうか。もやもやします。そのもやもやこそがタブーというものの本質だと思います。国家権力がどうこうとか大げさな話に行く前に、世の中の言わない意思と、聞かない無意識がタブーの温床というところでしょうか?
『ゆきゆきて神軍』のバカみたいに突撃して責任を迫る鬼のような奥崎謙三。『9.11-8.15 日本心中』の彷徨うように識者の話に耳を傾け続ける針生一郎。ある意味対照的な二人の人間のタブーへの肉薄が、図らずも今の沖縄の現実を炙り出したことが興味深い。今日で県立美術館の『アトミック・サンシャイン~』の展示は終わりですが、今後もこの話題は注目していきたいところです。

『ゆきゆきて神軍』は、歴史に残るドキュメンタリー映画の名作。反天皇制、戦争の責任を叫ぶ主人公というイメージが強烈過ぎて、東京で大ヒットしたにも関わらず、沖縄の劇場では上映ができなかった作品。実は港に停泊中のピースボート船内で、監督のシンポジウム付きで上映されただけでした。学生のころ見に行ったのが懐かし。一方、渦中の人、大浦信行さんの最新作『9.11-8.15 日本心中』は、今回の県立美術館の問題とは直接関係ありませんが、大浦さんの抱えるテーマは先に述べたように一貫しています。特集の日程は桜坂劇場公式サイトで
この二つ映画に起こった状況が意味するのはなんだろう?沖縄は戦争や天皇制の問題に対してもっと進歩的な県だと思っていたけど?…。そんな疑問をもとに、今回の特集を組みました。沖縄県立博物館・美術館の問題は、現在進行形ということもあり、ネットなどで確認していただくと、この映画のこと、特集のことがわかりやすいかと思います。ぜひググって予習しといてください。
で、問題の大浦信行さんのコラージュ作品『遠近を抱えて』ですが、5/16(土)~5/31(日)の期間、南風原の画廊沖縄で展示されています。初日に行ってきましたが、いやあ想像以上に美しい作品でした。僕の私感ですが、作品から大浦さんの天皇に対する悪意は感じませんでした。大浦さんも『この作品は自画像』だとおっしゃっているように、日本人として生まれ育つ中で、自然と身体すり込まれた天皇と天皇制という制度への、何とも言えない愛憎が感じられましたが。それは天皇批判というよりも、自己批判に近い。そのうえで、我々観客に「あなたはどうなんですか?日本をどうしたいんですか?」と問題提起する深みを持っている。攻撃的というよりは、むしろ穏やかです。それゆえに静かにくすぶり続けるエネルギーを感じました。どうぞ気になる方は、画廊沖縄へ足を運んで下さい。こういう作品を公共施設で展示できないのが、今の沖縄の現実なんですね。
一応誤解のないように書いておきますが、県立美術館が、自主判断で展示の内容を決めること自体にケチをつける気は実はありません。むしろそのことが言論弾圧と言われてしまうのも正直すっきりしません。僕個人の考えですが、劇場にも主体性があるから僕らは作品を選びます。ただ僕らが県立美術館に近いことをするときは、その基準をハッキリさせます。「作家と合意の元」なんて責任回避で丸め込むもよろしくない。劇場の意思として作家に条件を飲んでもらったということをしっかりアナウンスすべきだと考えます。合意したから文句を言うなというならそれは立場を利用した弾圧になる。作家が身体をはって世に問うたものを表に出さない劇場側の基準は身体をはって示さないと失礼でしょう。簡単にいえば、拒否する権利を持つなら、拒否した責任を劇場はおわなきゃいけない。そもそも、その基準こそが劇場の主体であり、プライドであり、売りなんだから恥じることも隠すこともないはず。劇場の主体性を示すためにも、どんどん公言すべきでしょう。影響力のある県立美術館が主体性のないことをして、劇場が「展示を選ぶなんて言論弾圧だ!」みたいな論調が広がると正直、町場の零細企業としては、いい迷惑としか言えません。基準の内容で、世間からバカにされたとしても、思っていることを身体をはって言えばいい。作家を守り育てるのも、作家とガチで勝負するのも劇場の仕事。それをせずに一方的になかったことにしようとするなら、立場を利用した弾圧と言われてもしょうがない。まあ結局そういうことに行き着いちゃう。悲しいね、期待していただけに…。公的施設に主体性を問うのはまちがいなんでしょうか?
画廊沖縄で作家の大浦さんと立ち話をしていて、「たぶん美術館に基準はないと思う。事なかれ主義なんだよね」という勝手な、極めてもやもやの残る結論を持ったまま、僕は画廊沖縄を後にしました。実は隠してるわけじゃなくて、責任をとりたくないだけだということでしょうか。もやもやします。そのもやもやこそがタブーというものの本質だと思います。国家権力がどうこうとか大げさな話に行く前に、世の中の言わない意思と、聞かない無意識がタブーの温床というところでしょうか?
『ゆきゆきて神軍』のバカみたいに突撃して責任を迫る鬼のような奥崎謙三。『9.11-8.15 日本心中』の彷徨うように識者の話に耳を傾け続ける針生一郎。ある意味対照的な二人の人間のタブーへの肉薄が、図らずも今の沖縄の現実を炙り出したことが興味深い。今日で県立美術館の『アトミック・サンシャイン~』の展示は終わりですが、今後もこの話題は注目していきたいところです。
2009年05月13日
『さんかく山のマジルー』始動、ブログもあるでよ
ついにマスコミ解禁!この夏最大の話題作になること請け合いの『さんかく山のマジルー 真夏の夜の夢』の試写会&完成披露記者会見が桜坂劇場でおこなわれました。この作品は沖縄県以外では『真夏の夜の夢』と言うタイトルで公開です。シェークスピアが元になっているとはいえ、沖縄の人にはこっちタイトルの方が親しみと興味を持ってもらえるはず!ということで異例の国内2タイトルの映画になったわけです。
今日の記者会見は、中江裕司監督と、マジルーの蔵下穂波さん、ゆり子のこども時代の中村玲月ちゃんが登場。二人ともオーディションで選ばれて、今回十分に見応えのある演技を披露してくれました。
蔵下穂波さんは『ホテル・ハイビスカス』のミエコを演じた女の子。あの子ももう高校生ですよ。時間の経つのは早いものです。そう書くと、なんとなく最初からデキレースで選ばれた様に見えると思いますが、彼女の方からオーディションを受けて、厳しい選考の中からこの役を勝ち取ったそうです。もちろんぼくも映画は観ましたが、スクリーン上での彼女は、本当にフォトジェニックだと思います。沖縄での公開は7月18日(土)。桜坂劇場とリウボウホールで同時に封切られます。そのまえに7月4日(土)、5日(日)に先行上映会ということで、なんと世界遺産の中城城跡で野外上映されます。
そんなこんなで、これからもこの映画に関しては様々な話題が飛びだしてくると思います。沖縄発信のブログも作ったので、ぜひご覧ください。ブックマークして下さい。よろしくお願いします。
さんかく山のマジルー 沖縄ブログ
『真夏の夜の夢』公式HP2009年05月03日
『ハーベイ・ミルク』を忘れるな!
本日スタートの『ハーベイ・ミルク The Times of Harvey Milk』を観て、厚い気分になりました。ショーン・ペン主演の『ミルク』ではなく、1984年(ミルクが暗殺されて6年後)に作られたドキュメンタリー映画。アカデミー賞も受賞した名作です。ミルクは、アメリカでは始めて、ゲイであることを公言したうえで公職に当選した人物。しかし、同じ市制執行委員のダン・ホワイトに、当時のサンフランシスコ市長ともども、市庁舎内で射殺されてしまった人物。詳しくはネットで調べてみて下さい。、
当時は警官からもゲイと言うだけで乱暴を受けていた人々の権利を主張し、またゲイだけでなく少数はの人種や、高齢者などのマイノリティ全般の想いを組み上げ、闘っていたミルクの姿がかっこいい。事件の6年後に作られただけあって、彼に関わった人々のインタビューも、単なる歴史の中の一事件ではない温もりを感じてしまった。印象的な言葉も多い心に響く。
圧巻なのは、彼の死後、その追悼で集まった人々の様子だ。ゲイや少数派の人種はもちろん、普通の白人までがなんの分け隔てもなく集まり、声を荒げることもなく静かにロウソクを灯して行進をしている。ミルクが求めた世界が、彼の死を持って証明された荘厳なシーンであり、その映像を見るだけでもこの映画の観る価値はある。誰もが基本的な権利を主張でき、お互いを認めあう寛容さ。その理想が皮肉にも、ミルクの死によって形を見せた瞬間なのだ。
しかし、さらに皮肉なことに、殺人犯のダン・ホワイトは、それほど計画性のない発作的な犯行として軽い刑で裁判は結審。彼の精神状態が普通でなかった理由としてあげられた理由の一つが「健康に気を使う彼が、ジャンクフードばかり食べていたから」というのあきれる。
ただ現実のアメリカという国を考えると、アメリカ的な価値観で育った保守的なダン・ホワイトのような人物が思い悩むのもわからんではない。アメリカも数十年後には白人がマイノリティになってしまうと言われているが、彼らの信じてきた絶対的なものが覆される現実に、真面目な人ほど思い悩み、強迫観念を抱いているはずだから。そう考えると、ハーベイ・ミルクの物語は、これからのアメリカを示唆する内容でもある。温故知新と申しますが、当時のニュース映像が生々しく伝えるリアルな『ハーベイ・ミルク』の姿を、まずは観て知って欲しいです。
上映は5/8まで桜坂劇場で 20:50〜より上映。
タグ :ハーベイ・ミルク
2009年04月27日
『その男 ヴァン・ダム』は拾い物です
土曜日に劇場で『その男 ヴァン・ダム』を観る。すでに50歳手前のアクションスター、ジャン=クロード・ヴァン・ダムが主人公で、役もそのまま自分自身。パロディ映画のコメディかと思いきや、その展開屋余韻も含めて哲学的な印象さえ感じさせるシリアスドラマだった。昔の大スターも身体には衰えが見え始め、離婚した妻とは子供の養育権の裁判中。しかし、B級映画ばかりに出ているヴァン・ダムは教育上いかがなものかと、弁護士に責められる。肝心の養育費の支払いもとどこおる始末。故郷のベルギーに帰ったとき、金を下ろそうと郵便局に入ったところで銀行強盗と鉢合わせ。ちょっとした勘違いから、警察はヴァン・ダムが犯人と思い交渉を始める。
派手なアクションはない。普通の人として人質になりながら、銃で脅されて犯人のように警察と交渉するヴァン・ダムの苦悩が、シリアスに描かれる様がおもしろい。フランス映画っぽいシニカルなユーモアをちりばめつつ、意外に哲学的で、感動的な映画だったように思う。なんだかわからないが、僕は見ているあいだ、不思議なほど幸せな気分でした。しみじみとね、良い時間を過ごした感じです。あとセルフ・パロディというのはこういう描き方もあったのかと、目から鱗でした。変な映画ですが、物は試しで観て欲しい作品です。コメディとしてではなく、人生の悲哀を楽しむ映画として。こんなのもありだと思います。見終わったらきっと、ヴァン・ダム・ファンになるでしょう。ヴァンダホー!
余談ですが、シュワルツネッガーもセルフ・パロディ映画として『ラスト・アクションヒーロー』という映画があったのを思いだす。そちらは子供向けのアクション・コメディ。そこそこ楽しいけど、あまり記憶に残っていない。
あとセルフ・パロディではないですが、ミッキー・ロークも自分自身を描いたような『レスラー』でアカデミー主演男優賞にノミネートされてましたね。やっぱこういう映画は、人気絶頂のスターよりも、泥をなめた役者の方が深みがあってオモシロイと言うことですね。
タグ :ヴァン・ダム
2009年04月17日
映画の学校、本日開校しました!
今日(4/17 金)から映画の学校がスタートしました。前にも書きましたが、広く浅くではありますが、重箱の隅をつつきながら、映画のいろいろを学んだり考えたりできる内容にしたいと思っております。
一回目の講義は『映画の歴史』。映画の草創期からのお話を、資料映像を観ながら解説&納得な楽しい講義…だったはず。
リュミエール兄弟の『列車の到着』とか、ジョルジュ・メリエスのトリック映像を見て、みんなが普段意識しないであろう、ある重要なことに思いをはせてもらいました。《ある重要なこと》とは、絵が動くって不思議で楽しい。というシンプルな事実。あたりまえ過ぎて、どうでも良いと思う人もいるかも知れません。でも映画が発明された時代の映像を観ると、あの時代の観客が感じたであろう感動が伝わってくるから不思議です。というか、そこを意識しないとただの古くさい映像なんですけどね。
それと、前回ブログで書いたように『大人の科学』の付録の手回し映写機を使って、映写の構造を説明。その後に実際の映写機と見比べてもらいました。これも映画を発明した人たちの努力と工夫を知れば、映画を観る楽しみが、喜びになるんじゃないかとオーバーに考えたりします。映画は音楽や、物語、演技など、様々な分野をクロスオーバーする総合芸術と言われますが、でも何より絵が動く感動が、映画をここまで発展させた原動力だったのです。てなことをしゃべって、話を聞いて、微妙に手を動かしつつ楽しんでみました。
▲リュミエールの『列車の到着』。初めてこの映画を観た人々の戸惑いは、今や伝説。
一回目の講義は『映画の歴史』。映画の草創期からのお話を、資料映像を観ながら解説&納得な楽しい講義…だったはず。
リュミエール兄弟の『列車の到着』とか、ジョルジュ・メリエスのトリック映像を見て、みんなが普段意識しないであろう、ある重要なことに思いをはせてもらいました。《ある重要なこと》とは、絵が動くって不思議で楽しい。というシンプルな事実。あたりまえ過ぎて、どうでも良いと思う人もいるかも知れません。でも映画が発明された時代の映像を観ると、あの時代の観客が感じたであろう感動が伝わってくるから不思議です。というか、そこを意識しないとただの古くさい映像なんですけどね。
それと、前回ブログで書いたように『大人の科学』の付録の手回し映写機を使って、映写の構造を説明。その後に実際の映写機と見比べてもらいました。これも映画を発明した人たちの努力と工夫を知れば、映画を観る楽しみが、喜びになるんじゃないかとオーバーに考えたりします。映画は音楽や、物語、演技など、様々な分野をクロスオーバーする総合芸術と言われますが、でも何より絵が動く感動が、映画をここまで発展させた原動力だったのです。てなことをしゃべって、話を聞いて、微妙に手を動かしつつ楽しんでみました。
▲リュミエールの『列車の到着』。初めてこの映画を観た人々の戸惑いは、今や伝説。
2009年04月12日
こども映画撮影隊スタート
今日から桜坂市民大学の第6期がスタート。僕が受け持っている《こども映画撮影隊》も始まりました。受講生は三人。何か創るのは決まっているのですが、特に予定があるわけではない。みんなのノリをみつつ、何かを完成させるまでがんばってもらう。というアバウトなスタートを切りだす
第一回目は過去の作品を見せたり、お気に入りの短編映画を見せてオリエンテーション。いろいろあったのですが、短辺アニメの『ルクソーJr.』見せてみた。
◀これが『Luxo Jr.』
電気スタンドの親子のやり取りを描いた短編アニメだ。今さら言うまでもないが、『TOY STORY』のピクサー社が、世に名を轟かせた記念すべきパイロットフィルム。シンプルながら、揺れ動く影や、キャラクターの関係性、物語の展開、なにより身近な素材に命を吹き込むアニメーション本来の楽しさが詰まっている。など、教科書のようなすばらしい作品。みんなそれぞれの態度で、おもしろがっている。それを観ていると、みんなの性格や、理解度、成長ぶりが見れるようでオモシロイ。
その場で盛り上がった勢いで、Panaにおいてあった電気スタンドを使ってアニメーションを撮り始めることになる。
◀うちの『ルクソーもどき』
あれこれ試したあとに、かってに電球に顔を描きはじめる子供たち。ちょんまげを付けて《電機侍》の出来上がり。すると誰かが、そのライバルということでマジックペンに顔を付け始める。ということで、成り行きのまま、来週からこのキャラクターを使った映画作りのスタートと決まる。こども撮影隊は動き出しました。
第一回目は過去の作品を見せたり、お気に入りの短編映画を見せてオリエンテーション。いろいろあったのですが、短辺アニメの『ルクソーJr.』見せてみた。
◀これが『Luxo Jr.』電気スタンドの親子のやり取りを描いた短編アニメだ。今さら言うまでもないが、『TOY STORY』のピクサー社が、世に名を轟かせた記念すべきパイロットフィルム。シンプルながら、揺れ動く影や、キャラクターの関係性、物語の展開、なにより身近な素材に命を吹き込むアニメーション本来の楽しさが詰まっている。など、教科書のようなすばらしい作品。みんなそれぞれの態度で、おもしろがっている。それを観ていると、みんなの性格や、理解度、成長ぶりが見れるようでオモシロイ。
その場で盛り上がった勢いで、Panaにおいてあった電気スタンドを使ってアニメーションを撮り始めることになる。
◀うちの『ルクソーもどき』あれこれ試したあとに、かってに電球に顔を描きはじめる子供たち。ちょんまげを付けて《電機侍》の出来上がり。すると誰かが、そのライバルということでマジックペンに顔を付け始める。ということで、成り行きのまま、来週からこのキャラクターを使った映画作りのスタートと決まる。こども撮影隊は動き出しました。
2009年04月08日
映画の学校を開校!
今期の桜坂市民大学から、僕が講師で《映画の学校》というものをやることにした。もっと映画を深く楽しめるようなことができないかなと思っての開校です。理屈から実践まで、広く映画について知ってもらうことで、より映画を理解できる内容を考えています。興味のある方はぜひ受講してね。一応カリキュラムは下記の要領です。
映画の学校 カリキュラム
1)映画が動き始めた日
草創期の映像を観ながら、映画の歴史と映画の仕組みを解説。映写機の見学。
2)トリック撮影の歴史 ~メリエスから『ロード・オブ・ザ・リング』
簡単な視覚効果を説明、実験。映画の根本的な不思議に触れる。
3)カット割りはどう決める ~観客の無意識に訴える映画の文法
カット割りってどうやって決めるのか?逆に何も考えていない画面作りとは?
映画の言葉が見えると、映画がもっとわかってくる。
4)映画評論を書いてみる
映画の評論ってなんだろう。様々な評論を例に、読み方書き方を学んでみよう。
5)ドキュメンタリー映画いろいろ
ドキュメンタリー映画=記録映画ではありません。そのあやうい境目と、楽しみかたを紹介。
6)映画の美術
美術という仕事について、また実例と実験でその秘密を解説。
7)映画作りの役割分担
どんな人が、どんな役割を担っているのか?どんな流れで映画が作られるのか。
8)あなたの好きな場面を語ろう
あなたのお気に入りの映画のお気に入りの場面について語ってもらいます。
その場面の演出など解説。映画を作るスタッフの苦労を読み解きましょう。
などなど、番号は必ずしも講座の順番とは一致しません。
で、こないだ長らく買ったまま放置していた大人の科学の付録の手回し映写機を組み立てました。オモシロイくらい映画が映る。こんな玩具や、関連映像も駆使して楽しみたいと思っていますのでよろしく。
そんな遊びを通してなにを学ぶかというと、映画の文法みたいなことなのかなって思います。そういうと国語の授業みたいに「この作者の言わんとしていることは何か?」みたいな堅いことを考えるかも知れませんが、実は大事なことは「何故で自分はこの映画でこんなことを感じたのか」ってことなんじゃないでしょうか。それは作者が意図的に描いたことだったり、あなた自身が独自で感じたことだったりするわけで、文法というお約束を学ぶと、そういう相手と自分の違いも見えてきてオモシロイのです。
以前、台湾で仕事をしていた時、僕は中国語なんかしゃべれないんだけど、片言のボキャブラリーとフィーリングでたいていの打合せは乗りきっていた。どうにかなるもんだ。しかし、その方法に限界はあった。やはり、もっと突っ込んだ意図を伝えたい時、もっと相手の意図を理解したい時に、文法というお約束がなければ、何も伝えられないのである。一番おもしろくないのは、相手の意図がわからないことよりも、わかった気になって実はわかってない自分を意識した時だ。もっと知りたい。もっと伝えたいという気分を映画の文法や、作品の背景、試しになんか作ってみるとか、書いてみるとか、体験する機会をつくることで何か読み解けるようにしたい。まあ、それ以外の映画制作、アニメ講座、脚本講座なんかの超入門篇としても楽しめる内容だと思います。
映画の学校 カリキュラム
1)映画が動き始めた日
草創期の映像を観ながら、映画の歴史と映画の仕組みを解説。映写機の見学。
2)トリック撮影の歴史 ~メリエスから『ロード・オブ・ザ・リング』
簡単な視覚効果を説明、実験。映画の根本的な不思議に触れる。
3)カット割りはどう決める ~観客の無意識に訴える映画の文法
カット割りってどうやって決めるのか?逆に何も考えていない画面作りとは?
映画の言葉が見えると、映画がもっとわかってくる。
4)映画評論を書いてみる
映画の評論ってなんだろう。様々な評論を例に、読み方書き方を学んでみよう。
5)ドキュメンタリー映画いろいろ
ドキュメンタリー映画=記録映画ではありません。そのあやうい境目と、楽しみかたを紹介。
6)映画の美術
美術という仕事について、また実例と実験でその秘密を解説。
7)映画作りの役割分担
どんな人が、どんな役割を担っているのか?どんな流れで映画が作られるのか。
8)あなたの好きな場面を語ろう
あなたのお気に入りの映画のお気に入りの場面について語ってもらいます。
その場面の演出など解説。映画を作るスタッフの苦労を読み解きましょう。
などなど、番号は必ずしも講座の順番とは一致しません。
で、こないだ長らく買ったまま放置していた大人の科学の付録の手回し映写機を組み立てました。オモシロイくらい映画が映る。こんな玩具や、関連映像も駆使して楽しみたいと思っていますのでよろしく。
そんな遊びを通してなにを学ぶかというと、映画の文法みたいなことなのかなって思います。そういうと国語の授業みたいに「この作者の言わんとしていることは何か?」みたいな堅いことを考えるかも知れませんが、実は大事なことは「何故で自分はこの映画でこんなことを感じたのか」ってことなんじゃないでしょうか。それは作者が意図的に描いたことだったり、あなた自身が独自で感じたことだったりするわけで、文法というお約束を学ぶと、そういう相手と自分の違いも見えてきてオモシロイのです。
以前、台湾で仕事をしていた時、僕は中国語なんかしゃべれないんだけど、片言のボキャブラリーとフィーリングでたいていの打合せは乗りきっていた。どうにかなるもんだ。しかし、その方法に限界はあった。やはり、もっと突っ込んだ意図を伝えたい時、もっと相手の意図を理解したい時に、文法というお約束がなければ、何も伝えられないのである。一番おもしろくないのは、相手の意図がわからないことよりも、わかった気になって実はわかってない自分を意識した時だ。もっと知りたい。もっと伝えたいという気分を映画の文法や、作品の背景、試しになんか作ってみるとか、書いてみるとか、体験する機会をつくることで何か読み解けるようにしたい。まあ、それ以外の映画制作、アニメ講座、脚本講座なんかの超入門篇としても楽しめる内容だと思います。
2009年04月02日
『キング・コーン 世界を変える魔法の一粒』
キリ学の視聴覚教室にて『キング・コーン 世界を作る魔法の一粒』の試写会。例によって那覇市の文化テンブス館で開催する映画井戸端会議の集まりだ。あちこちのNPOがこの映画の応援のために駆けつけてくれた。
『キング・コーン』はアメリカのエール大学を出たばかりの若者イアンとカートが、米国の食料産業の要とも言うべきコーンについて調べようと決心。秦家を借りてコーンを育てるドキュメンタリー。そこで見えてきたのは、ゆがんだ農業の姿だった…。という昨今流行りのの食品に関する告発映画。とにかくアメリカはコーンを作れるだけ作るのが政策としてある。食料をどうするかが問題ではなく、余ったコーンをどうするか?という部分で、コーンシロップやコーンスターチなど、さまざまな加工食品を作っている。しかもたくさん作ることが目的なので、栄養価が低くなっても、大量の収穫ができるコーンが改良の果てに作られているという。食料として考えると意味がわからないが、つまりはコーンは食品ではなく、経済のための道具なのだ。そこからアメリカ人の健康被害は広がっているのでは…という仮説を実証していく。もちろん、アメリカがそうなっているということは、日本への影響も大きいはずだ。知っていて損はないテーマですね。
試写会の反応は、今まで重たい作品が多かったせいか、それとも食品という身近な話題のせいか、観たあとに話が盛り上がった。映画井戸端会議の当日もこんなふうに意見が飛び交うとおもしろいなあ〜とおもいつつ、アイディアを練るのでした。
そうです映画井戸端会議という企画は、そういう映画をネタに井戸端会議をみんなでやりたくて始めた企画。トークあり、展示あり、フェアトレードの商品販売ありのユニークなイベントなのです。当日、ぜひ遊びにきて下さい。
ということで映画井戸端会議、次回は
『キング・コーン 世界を変える魔法の一粒』
5/8(金)、9(土)の二日間
お待ちしております。
映画の公式サイト
http://www.espace-sarou.co.jp/kingcorn/
映画井戸端会議のブログ
http://eigaidobata.jugem.jp/
『キング・コーン』はアメリカのエール大学を出たばかりの若者イアンとカートが、米国の食料産業の要とも言うべきコーンについて調べようと決心。秦家を借りてコーンを育てるドキュメンタリー。そこで見えてきたのは、ゆがんだ農業の姿だった…。という昨今流行りのの食品に関する告発映画。とにかくアメリカはコーンを作れるだけ作るのが政策としてある。食料をどうするかが問題ではなく、余ったコーンをどうするか?という部分で、コーンシロップやコーンスターチなど、さまざまな加工食品を作っている。しかもたくさん作ることが目的なので、栄養価が低くなっても、大量の収穫ができるコーンが改良の果てに作られているという。食料として考えると意味がわからないが、つまりはコーンは食品ではなく、経済のための道具なのだ。そこからアメリカ人の健康被害は広がっているのでは…という仮説を実証していく。もちろん、アメリカがそうなっているということは、日本への影響も大きいはずだ。知っていて損はないテーマですね。試写会の反応は、今まで重たい作品が多かったせいか、それとも食品という身近な話題のせいか、観たあとに話が盛り上がった。映画井戸端会議の当日もこんなふうに意見が飛び交うとおもしろいなあ〜とおもいつつ、アイディアを練るのでした。
そうです映画井戸端会議という企画は、そういう映画をネタに井戸端会議をみんなでやりたくて始めた企画。トークあり、展示あり、フェアトレードの商品販売ありのユニークなイベントなのです。当日、ぜひ遊びにきて下さい。
ということで映画井戸端会議、次回は
『キング・コーン 世界を変える魔法の一粒』
5/8(金)、9(土)の二日間
お待ちしております。
映画の公式サイト
http://www.espace-sarou.co.jp/kingcorn/
映画井戸端会議のブログ
http://eigaidobata.jugem.jp/
2009年03月19日
マドンナ監督『ワンダーラスト』は良いよ
<最初におわびを。21日スタートの『ワンダーラスト』。会報の時間がまちがっていました。21日は夜の22時10分のみです。新聞かホームページをチェックしてからお越しください。楽しみにしていたかたすみません。
ただこの映画。マドンナが監督というと色物っぽいのですが、まちがいなく傑作です。ポスターには『これがマドンナの堕落論』なんて書いているから、さぞかし過激な映画なのかと思いきや、実に素直な内容で胸を打つ青春映画なのです。マドンナは、普段、SMチックな衣装に身をまとって扇情的なイメージのあるうえに、お金持ちという先入観があるので、もっと手の込んだミュージックビデオっぽいポップな映画をイメージしていたのに、もっと庶民的で人間臭いまっとうなドラマに仕上がっています。舞台はロンドンですが、
ブルックリンの下町を舞台に市井の人々の日常を切り取った『スモーク』に似ている気がする。大金をかけずに少数のスタッフでサクサクッと素直に作った感じが好感を持てる。そういえば『スモーク』には姉妹編で『ブルー・イン・ザ・フェイス』という作品が作られていた。『スモーク』と同じ役者が同じ役で出演しながら、即興的なエピソードを撮って繋いだ、楽しい作品。遊びながら撮ったような小気味よいノリ。『スモーク』が泣かせる映画だったのに比べて、『ブルー~』は笑いの要素を強くて、実はそっちの方が好きでした。そういえば特別出演の役者も多くて、マドンナも出ていたのを今思い出しました。ハーヴェイ・カイテル演じるタバコ屋にメッセージを届けに来るダンサー崩れのメッセンジャーガールの役。メッセージを唄と躍りで届ける役で、ラテン系の訛りがキツイ英語で良い感じでした。今思えば、ワンダーラストの主人公達とダブりますね。
▲『Blue in The Face』のマドンナ出演シーン
さて『ワンダーラスト』ですが、こちらは売れないミュージシャンでSMのアルバイトをしている男。バレエダンサーを目指しながら、ポールダンスのアルバイトで食いつなぐ女。勤め先の薬屋で釣り銭をくすねてアフリカの子供たちに募金を送る女。みんなそれぞれ夢を持っているが、行き詰まってもがいている。彼らに《堕落》と言うのはひどい話だろう。ちょっと道に迷っている、等身大の人々なのだ。これに加えて、浮気願望のあるインド人の店長(子だくさん)や、ちょっと怖いけど面倒見の良いポールダンスの先輩。SMのお客で、小学生の格好をして先生にいたぶられるのが好きなサラリーマンなど、いかにも小市民的なお人よしが次々登場するのも楽しい。作り手(マドンナ)が、登場人物全てを愛している証拠に、それぞれ憎めない良さがある。なんだかカメラの後ろで、監督のマドンナが母親みたいな笑顔を浮かべて見守っているような気がしてならない。考えてみたらマドンナは、けっこうな苦労人だと聞いている。大スターになっても、忘れられない若いころの葛藤を、このフィルムに収めているのかも知れない。だから、この映画の手触りは心地よいほど温かい。迷える青春を送る若者なら登場人物に感情移入するだろう。そこそこ年を重ねた僕らなら、マドンナ(監督)の視点から、若者たち(かつての自分)を見守るかも知れない。いずれにしても、「もうダメかも」と思っていた人々が、まだがんばれそうな気分になれる映画ともいえる。粋な小品という感じで、観てソンはない映画です。
ただこの映画。マドンナが監督というと色物っぽいのですが、まちがいなく傑作です。ポスターには『これがマドンナの堕落論』なんて書いているから、さぞかし過激な映画なのかと思いきや、実に素直な内容で胸を打つ青春映画なのです。マドンナは、普段、SMチックな衣装に身をまとって扇情的なイメージのあるうえに、お金持ちという先入観があるので、もっと手の込んだミュージックビデオっぽいポップな映画をイメージしていたのに、もっと庶民的で人間臭いまっとうなドラマに仕上がっています。舞台はロンドンですが、
ブルックリンの下町を舞台に市井の人々の日常を切り取った『スモーク』に似ている気がする。大金をかけずに少数のスタッフでサクサクッと素直に作った感じが好感を持てる。そういえば『スモーク』には姉妹編で『ブルー・イン・ザ・フェイス』という作品が作られていた。『スモーク』と同じ役者が同じ役で出演しながら、即興的なエピソードを撮って繋いだ、楽しい作品。遊びながら撮ったような小気味よいノリ。『スモーク』が泣かせる映画だったのに比べて、『ブルー~』は笑いの要素を強くて、実はそっちの方が好きでした。そういえば特別出演の役者も多くて、マドンナも出ていたのを今思い出しました。ハーヴェイ・カイテル演じるタバコ屋にメッセージを届けに来るダンサー崩れのメッセンジャーガールの役。メッセージを唄と躍りで届ける役で、ラテン系の訛りがキツイ英語で良い感じでした。今思えば、ワンダーラストの主人公達とダブりますね。
▲『Blue in The Face』のマドンナ出演シーン
さて『ワンダーラスト』ですが、こちらは売れないミュージシャンでSMのアルバイトをしている男。バレエダンサーを目指しながら、ポールダンスのアルバイトで食いつなぐ女。勤め先の薬屋で釣り銭をくすねてアフリカの子供たちに募金を送る女。みんなそれぞれ夢を持っているが、行き詰まってもがいている。彼らに《堕落》と言うのはひどい話だろう。ちょっと道に迷っている、等身大の人々なのだ。これに加えて、浮気願望のあるインド人の店長(子だくさん)や、ちょっと怖いけど面倒見の良いポールダンスの先輩。SMのお客で、小学生の格好をして先生にいたぶられるのが好きなサラリーマンなど、いかにも小市民的なお人よしが次々登場するのも楽しい。作り手(マドンナ)が、登場人物全てを愛している証拠に、それぞれ憎めない良さがある。なんだかカメラの後ろで、監督のマドンナが母親みたいな笑顔を浮かべて見守っているような気がしてならない。考えてみたらマドンナは、けっこうな苦労人だと聞いている。大スターになっても、忘れられない若いころの葛藤を、このフィルムに収めているのかも知れない。だから、この映画の手触りは心地よいほど温かい。迷える青春を送る若者なら登場人物に感情移入するだろう。そこそこ年を重ねた僕らなら、マドンナ(監督)の視点から、若者たち(かつての自分)を見守るかも知れない。いずれにしても、「もうダメかも」と思っていた人々が、まだがんばれそうな気分になれる映画ともいえる。粋な小品という感じで、観てソンはない映画です。
タグ :マドンナ
2009年01月18日
東京緊縛オーケストラ in 桜坂劇場
さてさて1/16(金)の夜。ついに『東京緊縛オーケストラ』のパフォーマンスが行われました。当初はなかなか動きの鈍かったチケットも、数日前から売れ始め、最終的には立ち見が出る始末。100人キャパのホールBに続々と観客が入場するその傍らで、「有末さんお手製の縄と、縄専用のワックスも販売してま~す」と、女性スタッフが爽やかな声でSMグッズを売りさばく。冷静に考えると変な光景です。沖縄においてSMが、アングラから表に出てきた記念すべき瞬間だったのかも。『東京緊縛オーケストラ』は緊縛師の有末剛さんと、ショーロクラブなどの活動でも知られる沢田穣治さんの行う緊縛と音楽のセッション。沢田さんの奏でる即興の演奏をバックに、有末剛がダンサーの斎藤栗子さんを、あれよあれよと縛り上げてしまうというパフォーマンス。ストリップ小屋でよくある、SMショーを数段グレードアップして、アートに仕上げた素敵なショーです。
『東京緊縛オーケストラ』は、東京と沖縄でしか講演をしたことがないらしく、これまでは浦添市の《グルーブ》だけでのライブでした。それを観て感動したライターの温泉太郎氏が、桜坂劇場でもどうですかと持ち込んで来たのが、ことの発端。うちは老若男女が足を運ぶ、町中の劇場ですから、こういう風俗っぽい企画はありなのかなという不安も劇場的になかったとは言いませんが、健全さというのは、行き過ぎると不健全な《排除》を生み出します。桜坂劇場は規制の概念をシャッフルする場でありたいし、映画『縛師 Bakushi』もすごく良かったし。ましてや、緊縛師の有末剛と言えば、文句なくこの道のトップランナー。できることなら、やっちまいたい。
あと個人的な理由で言えば、桜坂劇場の隣(現在は駐車場)には、かつて桜坂ストリップ劇場があったという思い出が、この企画を実現させたかった理由の一つかも知れません。
さてライブの前日に来沖された、映画『縛師 Bakushi』にも出演されている緊縛師の有末剛さん。サングラスをかけたダンディな風貌ですが、ものすごい柔らかいオーラで場を和ませる不思議な人。《緊縛師》と言う言葉に、もっと強面な《調教師》的なイメージを持っていただけに改めて感動。
で、肝心のステージ。実は当初イントレを組んでダンサーを吊り下げようと考えていたのですが、予算の都合でイントレが使えず、今回は吊りはあきらめようかという話になっていました。しかし、有末さんが劇場を下見するなり、「脚立が二つと単管が1本あれば、ダンサーを吊るせますよ」と、その道のプロらしい、シンプルだけど効果的な方法を提案してくれました。そこでスタッフが近所の工事現場から単管を一本無償でレンタル。それを劇場の備品の脚立に縄でくくりつけ、あっというまに舞台美術完成。むき出しの脚立が淫靡なイメージを効果的に作り出していたんじゃないかと思います。さて本番は、前述の通りの大入満員、立ち見の大盛況。沢田さんのエレキベースに、Paul Mahouxのギター、城間和広のドラムの即興演奏で幕を開けます。そこに客席からセーラー服姿の斎藤さんが登場。ステージ上で割烹着をつけてダンスを披露。そこから再びステージをおりて客席で控える有末さんを呼び込み、あとはもうあっという間にステージ上で有末さんの技が…。もうここから先は見ないとわからないですが、美しいステージでした。そして第二部のトークコーナー。桜坂劇場の下地さんの自爆も辞さない単刀直入すぎる質問に場内爆笑。スタッフはハラハラドキドキという、おもしろ過ぎるトークコーナーに盛り上がりました。「SMとは工夫。ノーマルなだけの方が逆に変態」とか、目から鱗の名言も続出。イベント全体を通しても、これまでSMというものに対して持っていた、女性をいたぶる嗜虐のイメージからは真逆な、緊縛師の女性に尽くす細やかな気遣いっぷりに感動させられました。「緊縛とは抱きしめること」。映画『縛師 bakushi』の宣伝コピーが思い出されます。いやあ、おもしろかった。年内にまたやりたいなぁ~。未見の方は第二段を、首を長くしてお待ちください。
2009年01月16日
サクラサク
久しぶりに暖かい日になりました。と言うことで、若しやと思い劇場前の桜の木をチェックしたら、咲いてました。今年の一番桜です。劇場におこしのさいは、探してみてください。良いことありそうな気になります。と、言ってももう少ししたら向かいの公園とかも桜が満開になると思いますが。で、今夜はいよいよ『東京緊縛オーケストラ』のライブ&パフォーマンスの日です。そういえば昨日まで上映していた『縛師 Bukushi』はけっこうな入りでした。SMの映画というと、淫靡で怖いイメージがありますが、この映画は優しさとか愛を感じさせてくれる清々しい作品。そのせいもあるのか、なんかお客さんから「ありがとう」とお声掛けをいただく率も高い不思議な映画。なんかフレンドリーな空気が漂っていました。そういえばロマンポルノ特集のときも宮下順子さんが、沖縄の上映はなんか心が落ち着くといってたけど、あの時と似ている気がしました。
あと古い友人も来ていて「SMって相手を思いやる気持ちが大切なんだよね」と、にわか知識で宣伝すると、「ああ、わかる僕もすこしやってるから」と、返事が帰ってきた。想像以上にニーズのある世界だったようです。
で、今夜のパフォーマンス。まだ席は少しありますが、下手したら立ち見かも。
http://www.sakura-zaka.com/kinbaku/index.html
2009年01月11日
珊瑚座:桜坂劇場に繋がる想いと歴史
先日の琉球新報の映画紹介記事でこんなことを書いた。
「Coccoは沖縄芝居の名優、真喜志康忠さんの孫にあたる。康忠さんは珊瑚座という劇団で見習いをスタートさせたと聞くが、実は桜坂劇場の前進は珊瑚座の劇場だったのだ。(琉球新報 09/01/09 夕刊)」
するとさっそく、真喜志康忠さんの書かれた珊瑚座に関する文章のコピーを届けてくれた方がいた。
『沖縄演劇界の巨匠 渡嘉敷守良の世界』(渡嘉敷守良記念誌編集委員会 編著)に書かれた『心より心に伝わる花なれば -渡嘉敷守良先生の思い出-』と題された文章だ。桜坂劇場の成り立ちに触れる貴重な内容である。
その記事について書く前に僕の新聞記事の内容を一度説明せねばなるまい。僕が映画『大丈夫であるように Cocco終らない旅』の紹介記事の中で、Coccoと真喜志康忠さんを結びつけたのは、もともと『おきなわいちば』という雑誌に掲載されたCoccoのコラムによる。その中でCoccoは珊瑚座と桜坂劇場を結びつけ、祖父である真喜志康忠と同じ舞台に立てることを、演劇と映画の違いはあるものの、すなおに喜んでいた。
僕は、桜坂劇場がもともと珊瑚座の劇場として戦後に作られたことは知っていたが、真喜志康忠さんと珊瑚座の関わりについては、戦前に康忠さんが見習いとして珊瑚座に入ったと言うことしか知らなかった。戦前と戦後の珊瑚座が同じものなのか?歴史の断絶があって、あやふやだったわけだ。ただCocco自身は康忠さんからいろいろ話を聞いているだろうし、彼女が書いている以上は、戦後の珊瑚座という建物と康忠さんは深い繋がりがあったのでは、と推測はできた。それでまあ、字数の問題もあるのだけど、新聞では端折ったうえに、ぼやかした書き方になってしまった。それで届いたのが件の資料である。読んでみて納得。まさに歴史のミッシングリンクが繋がった感動がありました。
その康忠さんの記事によると…。
「那覇の桜坂に、私も含めた役者たちが金をかき集めて、芝居常打劇場を建設したのは、昭和二十七年頃である。当時の映画ブームに対抗するために、島袋光裕先生い率いる松劇団と私のときわ座が合併して「珊瑚座」を結成し、劇団直営の劇場が生れたのだ」
同じ記事の中で
「先生の名声は、戦前、役者見習の頃から聞き及んでいたが…(中略) 昭和十二年、三年頃のことである。真境名由康先生の「珊瑚座」で(後略)」
という文章もあり、戦前と戦後で二つの珊瑚座があったことがわかる。そして戦後、桜坂に作られた「珊瑚座」は、真喜志康忠さんを始めとした沖縄芝居の役者たちが金を出しあって作った劇場だという事実が判明。珊瑚座の経営者が山城善光さんで、彼が桜を植えたことで桜坂と名がついたのは有名な話なのだが、一座の形成にそんな話があったとは露ほども知りませんでした。不勉強で申し訳ない。Coccoが桜坂劇場に思い入れを抱いてくれるのも、よくわかります。なにより、珊瑚座に込められた、当時の役者たちの熱い思いが伝わってくるのが、なんだか嬉しい。
また、この文章は、そういう事実を知る上でも興味深いんですが、なにより読ませる文章なんですね。
本文は、齢八十を過ぎた康忠さんが、遂に完成した国立劇場おきなわの内部を案内してもらうところから始まる。広い館内を歩き疲れてロビーの椅子に座り込むと、たった今観てきた劇場の様子とともに、思い出のシーンが走馬灯のよう浮かんでくるのだ。映画みたいでしょ。
「花道や回り舞台のあるメーンホールは、まことにまばゆいばかりであったが、それよりも、鮮明に脳裏に浮かんでくるのは、あの緩やかな坂を登りきった所に建っていたコンクリートの劇場の事だった…(後略)」
読んでてガツンと来ました。やられた!。いくつもの芝居で人の心を掴んできた人の文章だ。ドラマチック。なんか一本芝居を見せられたような充実感。
これからもこういう資料は公開しつつ、修正もしていきたいです。町の歴史は共有財産だと思うので。
「Coccoは沖縄芝居の名優、真喜志康忠さんの孫にあたる。康忠さんは珊瑚座という劇団で見習いをスタートさせたと聞くが、実は桜坂劇場の前進は珊瑚座の劇場だったのだ。(琉球新報 09/01/09 夕刊)」
するとさっそく、真喜志康忠さんの書かれた珊瑚座に関する文章のコピーを届けてくれた方がいた。『沖縄演劇界の巨匠 渡嘉敷守良の世界』(渡嘉敷守良記念誌編集委員会 編著)に書かれた『心より心に伝わる花なれば -渡嘉敷守良先生の思い出-』と題された文章だ。桜坂劇場の成り立ちに触れる貴重な内容である。
その記事について書く前に僕の新聞記事の内容を一度説明せねばなるまい。僕が映画『大丈夫であるように Cocco終らない旅』の紹介記事の中で、Coccoと真喜志康忠さんを結びつけたのは、もともと『おきなわいちば』という雑誌に掲載されたCoccoのコラムによる。その中でCoccoは珊瑚座と桜坂劇場を結びつけ、祖父である真喜志康忠と同じ舞台に立てることを、演劇と映画の違いはあるものの、すなおに喜んでいた。
僕は、桜坂劇場がもともと珊瑚座の劇場として戦後に作られたことは知っていたが、真喜志康忠さんと珊瑚座の関わりについては、戦前に康忠さんが見習いとして珊瑚座に入ったと言うことしか知らなかった。戦前と戦後の珊瑚座が同じものなのか?歴史の断絶があって、あやふやだったわけだ。ただCocco自身は康忠さんからいろいろ話を聞いているだろうし、彼女が書いている以上は、戦後の珊瑚座という建物と康忠さんは深い繋がりがあったのでは、と推測はできた。それでまあ、字数の問題もあるのだけど、新聞では端折ったうえに、ぼやかした書き方になってしまった。それで届いたのが件の資料である。読んでみて納得。まさに歴史のミッシングリンクが繋がった感動がありました。
その康忠さんの記事によると…。
「那覇の桜坂に、私も含めた役者たちが金をかき集めて、芝居常打劇場を建設したのは、昭和二十七年頃である。当時の映画ブームに対抗するために、島袋光裕先生い率いる松劇団と私のときわ座が合併して「珊瑚座」を結成し、劇団直営の劇場が生れたのだ」
同じ記事の中で
「先生の名声は、戦前、役者見習の頃から聞き及んでいたが…(中略) 昭和十二年、三年頃のことである。真境名由康先生の「珊瑚座」で(後略)」
という文章もあり、戦前と戦後で二つの珊瑚座があったことがわかる。そして戦後、桜坂に作られた「珊瑚座」は、真喜志康忠さんを始めとした沖縄芝居の役者たちが金を出しあって作った劇場だという事実が判明。珊瑚座の経営者が山城善光さんで、彼が桜を植えたことで桜坂と名がついたのは有名な話なのだが、一座の形成にそんな話があったとは露ほども知りませんでした。不勉強で申し訳ない。Coccoが桜坂劇場に思い入れを抱いてくれるのも、よくわかります。なにより、珊瑚座に込められた、当時の役者たちの熱い思いが伝わってくるのが、なんだか嬉しい。
また、この文章は、そういう事実を知る上でも興味深いんですが、なにより読ませる文章なんですね。
本文は、齢八十を過ぎた康忠さんが、遂に完成した国立劇場おきなわの内部を案内してもらうところから始まる。広い館内を歩き疲れてロビーの椅子に座り込むと、たった今観てきた劇場の様子とともに、思い出のシーンが走馬灯のよう浮かんでくるのだ。映画みたいでしょ。
「花道や回り舞台のあるメーンホールは、まことにまばゆいばかりであったが、それよりも、鮮明に脳裏に浮かんでくるのは、あの緩やかな坂を登りきった所に建っていたコンクリートの劇場の事だった…(後略)」
読んでてガツンと来ました。やられた!。いくつもの芝居で人の心を掴んできた人の文章だ。ドラマチック。なんか一本芝居を見せられたような充実感。
これからもこういう資料は公開しつつ、修正もしていきたいです。町の歴史は共有財産だと思うので。
2009年01月03日
『大丈夫であるように Cocco終らない旅』スタート
本日より是枝裕和監督の『大丈夫であるように Cocco終らない旅』がスタート。劇場の特大絵看板はすでに大きなCoccoの絵が描かれています。三ヶ月前に『歩いても 歩いても』の微妙に似ていない看板を見上げて記念写真を撮っていた是枝監督を思い出します。『大丈夫〜』は、やはりCoccoの地元沖縄ですから、それなりにヒットして欲しいわけですが、とりあえず初日初回の動員は80名ちょっと。なかなかの出足です。この日のためにCocco自身がデザインしてくれた公開記念Tシャツは、上映が始まる前に10着も売れちゃいました。補充しなきゃっやばいです。
Tシャツのデザインは、首筋から肩にかけて散らばった星くずを、左手ですくい取るような絵が描かれています。すごく気に入ってます。かつて僕はCoccoと言う歌手は、自分の中のもやもやを吐き出すように歌う人だと思っていた。煮詰めに煮詰めた個人の思いゆえに、同じ思いを抱く人々の共感を得ていたと思う。少なくとも活動休止前までは…。しかし、是枝さんの映画で映し出されるCoccoは少し違う。自分の痛みよりも、人の痛みを拾い集め、それを歌うことで第三者に伝えようとしている。少なくともCoccoの軸足は以前より、他者への視点に広がって見えた。だからこそやさしく、大きくなった気がする。まずもって、この『大丈夫であるように』で映し出されるCoccoの旅の目的がそういうことだしね。だからCoccoが描いたTシャツのデザイン、《散らばった星くずをすくい上げる手のひら》が、Coccoの今の気分を象徴的に描き出して見えてしょうがない。「そうありたい」「そうあってほしい」というメッセージをデザインに託した。そうかってに思っています。
で、かってついでに、Coccoが知って欲しいと映画の中で愛を注いでいた、元ひめゆり学徒隊の証言記録映画『ひめゆり』の上映と、トークショーを1月31日(土)からスタートします。1週間限りですが、これも今まであまり客足の伸びなかった遅い時間、つまり若い人向けの時間に上映します。トークショーでは、語り部という役割について、Coccoとのことも含めて、お話を聞きたいと思っています。若い人、見に来てね。それから『大丈夫〜』の中で語られているもう一つの場所、六ケ所村についてのドキュメンタリーの上映も検討中です。
2008年12月23日
レディースデイと会員制度、そして駐車場サービス
火曜日のレディースデイと、祝日が重なり、けっこうなにぎわいになりました。圧倒的な人気はやはり『ファン・ジニ 映画版』。やっぱりテレビの影響力は凄い。映画版はテレビよりもお金がかかっているだけあって、映像の美しさは大幅にグレードアップ。ラストカットなどの雄大な風景は、劇場の大画面で観てよかった〜って思うこと請け合いの美しさ。もちろん主演のソン・ヘギョの美しさも。あわせて上映中の『言えない秘密』『僕は君のために蝶になる』もまあまあの入り。アジアな二週間です。『言えない秘密』を観たスタッフが、「最初はベタな話かと思ったら、途中からまさか、ああ〜なるとは思わなかった」と見ごたえありの作品だったそうですよ。
まあしかし、そんなふうにお客さんが入っていていうのも何ですが、個人的にはレディースデイにお客さんが多いというのは悔しいものだったりします。会員になってくれたらもっと安いのにね。その辺の告知がうまくいってないのか?それとも映画なんか年に一本くらいで十分と思われているのか?…複雑な気分です。もちろん、会員以外のお客様がたくさん来て、桜坂劇場を認知してもらうきっかけにはなるんですけどね。でも、できるだけたくさん映画を観てもらうための会員制度ですので、皆さんどんどん利用してください。
そう言えば、2009年からは、駐車場の無料サービスが、会員のみの特典になります。けっこう駐車場代を劇場が持ち続けるというのも厳しいので、見なおさせていただきました。でも、会員の方の利用が50%とという桜坂劇場。そんなに大きな問題にならないとは思います。まあ何よりも、プログラムディレクターとしては、駐車場代払っても観たいと思える映画を上映していきたいと思っていますので、よろしくお願いいたします。
2008年12月22日
桜坂市民大学祭
昨日は桜坂劇場の三ヶ月に一回の恒例行事、桜坂市民大学祭が行われた。20講座の舞台発表と、27講座の展示&実演が、劇場ところ狭しと行われてにぎわいました。もっとも桜坂市民大学の講座自体は100近くあるわけで、発表自体は少ないんだけど、それでも4時間近いステージ。ダンスあり、武道あり、お笑いあり、もちろん映像作品もあり。リハーサルも入れるとほぼ一日がかり。前日も遅くまで照明や音響準備だから、スタッフは大変です。
でも、習い事をクリエイティブなところに昇華させるためには、人前で発表するのは必修だと思います。そこから「もっと」とか、「次は」とか欲が出てくればしめたものです。まあ、そんな野望はないという人にも、講座で学ぶことの目標を提供できるのは、桜坂市民大学の強み。ただいま第五期の募集受付中です。
ちなみに僕がやっている『土曜こども撮影隊』という講座は昨日、二人申し込みありました。

▲前日の夜中、準備するスタッフの図
でも、習い事をクリエイティブなところに昇華させるためには、人前で発表するのは必修だと思います。そこから「もっと」とか、「次は」とか欲が出てくればしめたものです。まあ、そんな野望はないという人にも、講座で学ぶことの目標を提供できるのは、桜坂市民大学の強み。ただいま第五期の募集受付中です。
ちなみに僕がやっている『土曜こども撮影隊』という講座は昨日、二人申し込みありました。

▲前日の夜中、準備するスタッフの図
タグ :桜坂市民大学
2008年12月21日
ローリングストーンズ、いいねえ!
木曜日の営業終了後、ホールBで『ザ・ローリングストーンズ シャイン・ア・ライト』のビデオ試写。ミック•ジャガーの衰えぬ色気に感動しつつも、キースの持っている優しさのオーラに驚く。なんかこの人がいるだけで、安心感があるんだよ。不思議な人だ。あとゲストのバディ•ガイは圧巻。ストーンズのメンバーが子供に見えるほど。桜坂劇場での上映は三月。もちろん一番大きなホールAで、大音響で参ります。土曜日は朝から劇場前で撮影があった。『ブロードウェィ♪ブロードウェイ コーラスラインにかける夢』にも出演していた高良結香さんの特番で使うための音楽シーンらしい。放送は三月頃の予定だそうです。お楽しみに。
で、劇場では『ファン•ジニ』『ベティの小さな秘密』『言えない秘密』『僕は君のために蝶になる』。そして裕次郎の『赤いハンカチ』。ひきつづき上映の『12人の怒れる男』『コドモのコドモ』。リウボウホールでは『恋愛上手になるために』が日曜からスタート。月曜日はコザの沖縄市民小劇場で『闇の子供たち』の上映もあります。
個人的にはジョニー•トー監督の『僕は君のために〜』が楽しみです。それと、トー監督と言えば、彼の右腕と言われる脚本家ヤウ・ナイホイの監督デビュー作『天使の眼、野獣の街』を観た。一人の女性捜査官の成長と、その上司との師弟愛のお話。父と娘っていうかね。舞台は警察の犯罪捜査なんだけど、もんくなくおもしろいよ。英語のタイトルが『アイ・イン・ザ・スカイ』なんで、そっちの方が受けが良かったんじゃないかと思うんだが…。どうでしょう。キャラクターの描き込みは、さすがというしかない鮮やかさ。脇役の一人一人まで人格が目に浮かびます。この作品は桜坂劇場でも公開します…そのうち。レイトショーかなあ…。
2008年12月11日
映画制作講座、もうすぐ完成だ
水曜日は映画制作講座の日。全十回で一本の映画を制作する講座だ。今週は第9回目。ということで、今期の作品の完成一歩手前の試写会。二人が同じ素材を別々に編集して来たものを見比べる。それぞれの性格が出ていおもしろい。ダブル講師の新垣善広さんと、愛情タップリのダメ出し。来週の完成披露が楽しみ。
それとた当講座の卒業生が作品を持って来たので、それもみんなで鑑賞。御題をいただいて24時間で脚本から撮影、編集、録音を経て映画を完成させる映画祭で作った作品。女性らしい、綺麗だけど、いい感じでおぞましさが漂う仕上がり。おもしろかった。
帰り際に、桜坂でも24時間のタイムトライアルな映画制作のイベントをやりませんか?と聞かれたので、やるのは良いけど、こういうことは作る人たち主導で企画を持ちこんでくれと返事。たぶん、あまり手とり足とりやっても、その場限りのお祭りで終わるから。作りたい!見せたい!っていう意思のない課題作品作っても、観客には迷惑な話でしかない。ヘタクソで貧乏くさくても、作りたいという気持ちで悪あがきする様がおもしろかったりするわけだしね。 ここは一つ、我こそは!という有志が集まること楽しみにしつつ様子見を決め込む。
それとた当講座の卒業生が作品を持って来たので、それもみんなで鑑賞。御題をいただいて24時間で脚本から撮影、編集、録音を経て映画を完成させる映画祭で作った作品。女性らしい、綺麗だけど、いい感じでおぞましさが漂う仕上がり。おもしろかった。
帰り際に、桜坂でも24時間のタイムトライアルな映画制作のイベントをやりませんか?と聞かれたので、やるのは良いけど、こういうことは作る人たち主導で企画を持ちこんでくれと返事。たぶん、あまり手とり足とりやっても、その場限りのお祭りで終わるから。作りたい!見せたい!っていう意思のない課題作品作っても、観客には迷惑な話でしかない。ヘタクソで貧乏くさくても、作りたいという気持ちで悪あがきする様がおもしろかったりするわけだしね。 ここは一つ、我こそは!という有志が集まること楽しみにしつつ様子見を決め込む。
2008年12月10日
ロバの音楽座と子供たち
火曜日、貸館のイベントで『ロバの音楽座』のライブ。ヨーロッパの古楽器など珍しい楽器で、目に耳に楽しい楽団。NHKの番組に出演しているだけあって、親子連れの観客でにぎわう。ライブ中に子供たちもいっしょに歌うなと盛り上がったようだ。知りあいの娘が、終了後に「ロバはでなかったね」という感想で笑っちゃった。
小さい子供が大勢いると、活気というか生命力があふれて劇場まで元気になる。そうそう集められる客層ではないのはわかっているが恒常的にチビッコ層が呼べるプログラムはいつか実現したい。良質なアニメの短編とか安く仕入れてモーニングショーで超ロングランとかね。読聞かせや、ワークショップとかも、いっしょにできるとなおよろしい。劇場を地域の児童館的にできたら、また別の活気が生まれるように思うのだ。
しかし、こういうプログラムというのは、継続性が必要なわりには、儲かってウハウハなどという状況は、まず期待できない。でも10年、20年、いやいや50年くらいのスパンで考えると、意味のあることだと思う。まず、幼児が映画館にふらりと遊びに来る社会なんて、絶対おもしろいと思う。
ロバの音楽座の皆さんと、主催者のみなさん。良いものを見せていただいて感謝。
小さい子供が大勢いると、活気というか生命力があふれて劇場まで元気になる。そうそう集められる客層ではないのはわかっているが恒常的にチビッコ層が呼べるプログラムはいつか実現したい。良質なアニメの短編とか安く仕入れてモーニングショーで超ロングランとかね。読聞かせや、ワークショップとかも、いっしょにできるとなおよろしい。劇場を地域の児童館的にできたら、また別の活気が生まれるように思うのだ。
しかし、こういうプログラムというのは、継続性が必要なわりには、儲かってウハウハなどという状況は、まず期待できない。でも10年、20年、いやいや50年くらいのスパンで考えると、意味のあることだと思う。まず、幼児が映画館にふらりと遊びに来る社会なんて、絶対おもしろいと思う。
ロバの音楽座の皆さんと、主催者のみなさん。良いものを見せていただいて感謝。
2008年12月08日
『TOKYO!』:藤谷文子が良い。もちろん蒼井優も…
昨日の日曜日は、午後から『TOKYO!』を鑑賞。三人の外国人監督が東京を舞台に撮りあげたオムニバス映画ということで、撮影前から話題になっていた作品。ついに公開。そう言えば一年前のこの時期は沖縄の監督が撮った『琉球カウボーイ、よろしくゴザイマス。』という《OKINAWA》的オムニバス映画を上映していたなぁ〜。と思い出す。一年は早い。土地をお題にした映画と言えば、ヌーヴェルバーグの監督たちが作った『パリところどころ』なんかも上映したっけ。しかし、後者の二本がなれ親しんだ自分の庭で撮った作品なのに対して、『TOKYO!』の三監督は、土地カンのない外国での撮影。どうなることかと思っていたが、案の定、良くも悪くも現実の東京から浮き上がった、オリジナルな東京に仕上がっているのでおもしろい。
その中でも、ミシェル・ゴンドリー監督の作品は、原作がNYを舞台にしたコミックなのに、映画自体は東京らしさが一番出ていたと思う。風景や役者など、撮影対象に反応しながら撮影した感じがあって良かった。
反対に神童レオス・カラックスは、ほとんどがセット撮影。さすが『ポンヌフの恋人』でセーヌ川の両岸を含むポンヌフ橋の大セットを作った男だ。内容は怪獣映画と下水道。僕の好きなアイコンが散りばめられていて好感が持てた。
ポン・ジュノ監督のパートは《ひきこもり》という、いかにも東京らしいテーマで作られていたけど、ゴンドリーほど東京って感じではなかった。まあ、ひきこもってる人の話しだしね。でもあいかわらず蒼井優は最高。今まであまり見れなかったエロい感じが素晴らしい。観客のほとんど(特に男性)は、あの蒼井優の太ももを指でつつきたいという衝動を持ったはず。映画にはそういう潤いがだいじだよね。
しかし、女優といえば藤谷文子。昔は野暮ったいイメージだったんですが、今回は一番
よかった。個人的にはゴンドリー監督のクラフト感と下町感覚(人情と金のない感じ)が性に合う感じで楽しめました。それと短編映画らしい、読めない展開。2月公開予定の『僕らのミライへ逆回転』が楽しみにです。
▲『僕らのミライへ逆回転』予告編
その中でも、ミシェル・ゴンドリー監督の作品は、原作がNYを舞台にしたコミックなのに、映画自体は東京らしさが一番出ていたと思う。風景や役者など、撮影対象に反応しながら撮影した感じがあって良かった。
反対に神童レオス・カラックスは、ほとんどがセット撮影。さすが『ポンヌフの恋人』でセーヌ川の両岸を含むポンヌフ橋の大セットを作った男だ。内容は怪獣映画と下水道。僕の好きなアイコンが散りばめられていて好感が持てた。
ポン・ジュノ監督のパートは《ひきこもり》という、いかにも東京らしいテーマで作られていたけど、ゴンドリーほど東京って感じではなかった。まあ、ひきこもってる人の話しだしね。でもあいかわらず蒼井優は最高。今まであまり見れなかったエロい感じが素晴らしい。観客のほとんど(特に男性)は、あの蒼井優の太ももを指でつつきたいという衝動を持ったはず。映画にはそういう潤いがだいじだよね。
しかし、女優といえば藤谷文子。昔は野暮ったいイメージだったんですが、今回は一番
よかった。個人的にはゴンドリー監督のクラフト感と下町感覚(人情と金のない感じ)が性に合う感じで楽しめました。それと短編映画らしい、読めない展開。2月公開予定の『僕らのミライへ逆回転』が楽しみにです。
▲『僕らのミライへ逆回転』予告編


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