2010年01月21日
飛び出さない映画公開中です@桜坂劇場
3Dで話題の『アバター』。観ました。今まで3Dというと飛び出す映画と言うことでケレン味たっぷりに、いろんな物が飛んでくるビックリ映画が主流でしたが、今回新しかったのは、巷でも言われているとおり、そういうあざといことを極力排除したところ。スクリーンの外ではなく、奥に世界の広がりを求めることで、3D映画を一般化するという可能性を、どでかいスケールで試したこと。このことで今まで3Dといえばホラーかポルノ、あるいは遊園地のライド映画という枠を超えて、一般映画を3Dで撮る事の偉大な試金石になった。
ただ包み込むような映像体験と言う意味では、単純にスクリーンのでかいIMAX(建物6階建て分の高さのスクリーン)の方が、眼鏡もいらないのでクリアな映像で文字通り包み込まれるような感動があるし(IMAXの3Dはかえって画面の枠が強調されて小さく見えるので個人的にはNG)、ディズニーランドにあるような椅子が動いたりするライド方式の3Dを体験すると、果たして画面だけが3Dというのが、未来の映画産業にとってどれだけ貢献するのかはまだ疑問。
でもね、「CGで特撮はリアルじゃないから邪道。ミニチュアでなきゃダメ嘘くさい」という、今思えば恥ずかしい論争が一部の映画ファンの間で燃え上がったことが、ほんの数十年前にあったと思えば、未来はなんでもありだ。気がつけば3D映画がスタンダードな時代が来るのかも知れない。そう思うと『アバター』はとりあえず歴史の証人になるつもりで観ていて損はない。
と、他社の宣伝ばかりしていると怒られるので負け惜しみ全開で、あまり入っていない『岸辺のふたり』をオススメせねばなるまい。紙にインクで描いたような非3Dな平面的な絵のアニメーション、『アバター』を上映している間に21回はくり返して観れる8分間という短い上映時間。しかも、上映料金が『アバター』の1/3の500円。なのに心に染みる感動は1100万倍(個人的な比較)。観ても誰にも自慢できない(『アバター』との比較)けれど、あなたの心にきっといつまでも残っている名作。それが『岸辺のふたり』です。映画館で作品と向き合う感動を味わってください。
PS
併映で同じ監督の『アロマ・オブ・ティー』も上映。こちらは実験的な作品。タイトルはヨーロッパっぽいですが、訳すると『茶の香り』。東洋思想的なイメージのユニークな短編です。ぶつかりそうでぶつからない、よけると思えば飛び越える。難しいことを考えず、小さな黒い点の動きに注目すれば、けっこう楽しめる作品です。
公式サイト
桜坂劇場の紹介ページ
ただ包み込むような映像体験と言う意味では、単純にスクリーンのでかいIMAX(建物6階建て分の高さのスクリーン)の方が、眼鏡もいらないのでクリアな映像で文字通り包み込まれるような感動があるし(IMAXの3Dはかえって画面の枠が強調されて小さく見えるので個人的にはNG)、ディズニーランドにあるような椅子が動いたりするライド方式の3Dを体験すると、果たして画面だけが3Dというのが、未来の映画産業にとってどれだけ貢献するのかはまだ疑問。
でもね、「CGで特撮はリアルじゃないから邪道。ミニチュアでなきゃダメ嘘くさい」という、今思えば恥ずかしい論争が一部の映画ファンの間で燃え上がったことが、ほんの数十年前にあったと思えば、未来はなんでもありだ。気がつけば3D映画がスタンダードな時代が来るのかも知れない。そう思うと『アバター』はとりあえず歴史の証人になるつもりで観ていて損はない。
と、他社の宣伝ばかりしていると怒られるので負け惜しみ全開で、あまり入っていない『岸辺のふたり』をオススメせねばなるまい。紙にインクで描いたような非3Dな平面的な絵のアニメーション、『アバター』を上映している間に21回はくり返して観れる8分間という短い上映時間。しかも、上映料金が『アバター』の1/3の500円。なのに心に染みる感動は1100万倍(個人的な比較)。観ても誰にも自慢できない(『アバター』との比較)けれど、あなたの心にきっといつまでも残っている名作。それが『岸辺のふたり』です。映画館で作品と向き合う感動を味わってください。
PS
併映で同じ監督の『アロマ・オブ・ティー』も上映。こちらは実験的な作品。タイトルはヨーロッパっぽいですが、訳すると『茶の香り』。東洋思想的なイメージのユニークな短編です。ぶつかりそうでぶつからない、よけると思えば飛び越える。難しいことを考えず、小さな黒い点の動きに注目すれば、けっこう楽しめる作品です。
公式サイト
桜坂劇場の紹介ページ
2010年01月08日
『母なる証明』公開、バカ息子は涙
紹介ページ>>『母なる証明』の試写会を劇場スタッフ向けに開催したのが11月くらい。いつもなら観たあとはそれぞれの仕事に戻っていくのだが、この映画だけはなんとなく集まって、あのシーンはどうだった、こうだった…とえらく盛り上がってしまった。何が凄いと言うのはここでは書きづらい。説明しづらいのだ。ただ言えるのは、おもしろい。とにかくおもしろい。観たら話せるのだけどと、バカみたいに人に声をかけるしかない。映画紹介者としては、まさに敗北である。逆に言えば、それほどこの映画が凄いと言うことなのだ。こうなると僕にしても、観客の一人でしかない。いやもうね、この監督の作品を観れる、この時代に生れて良かったなって、そんな気分です。
ネタバレを注意深くさけながら、この映画の内容について触れるなら、ともかくこれは母の映画であることにはまちがいない。母の愛だけでなく、そのエゴもしっかり描いている。しかし、それは単に皮肉屋さんのイヤミではない。監督の真意は想像しかできないが、最大の敬意と共感を持って、母と言う存在の不器用な生き様を描き出しているのだ。様々なストレスと闘いながら、ハードな日々を送る母。バカ息子は親の心を知らず、それでも愛を注げるだけ注ぐ。そりゃ忘れたいこともいっぱいあるさ。逃げ出したいこともいっぱいあるさ。ああ、母は日々闘っているのだ…。しかし、そんなテーマをこんなふうにおもしろく、そのうえハードに描ききる監督はまさに、方々で言われているとおり天才であろう。
そんなわけで、いよいよ公開。とにかく観て。できれば感想を、ブログにコメントつけてくれると嬉しいです。自分でも言いたいことはいっぱいあるが、みんながどんなふうに思うのか、聞きたい映画です。
あと、この三連休(1/9〜11)は、『母なる証明』の《母なる証明 割引》実施。お客様で母のみなさま、窓口で《母であること》を証明していただけると入場料が1000円です。子供の写真、母子手帳、へその緒、etc...。あなたなりの方法で証明してください。
2009年12月28日
『岸辺のふたり』は一生ものの映画
正月早々に、さりげなくだが画期的な試みがあります。同時上映を合わせても11分の短編映画を、500円均一の料金で上映するってこと。画期的ですよこれは。実はこの『岸辺のふたり』(同時上映は同監督のさらに短編)は、もう何年も前から上映したくてしょうがない作品だったが、短過ぎて通常の映画上映の枠や料金体系にはめることができなかった。でもいい作品だし、配給会社の人とも一番いい形で上映できるチャンスを狙っていた。
ではこの作品の何が良いのか?僕個人としては二つの理由がある。まず作品の内容が素晴らしいこと、そしてもう一つは映画の作り手にとって重要な、物語の構築の仕方が短編ゆえにわかりやすく、アニメ学校や脚本学校の教科書にしたいくらいに良くできていることだろう。
物語はシンプル。ボートを漕いで出かけていく父親を見送る幼い娘ではじまり、あとはその帰りをひたすら待ちわびる娘の人生を追っていくだけの話。父親が帰ってこない理由はわからないまま、待ち続ける娘の喪失感が心に染みる。誰もが何かしら持っている、愛しい人(物)を失った喪失感と、深い愛情を刺激するのはまちがいない。たった8分の映画なのに、いつまでも糸を引く。
『岸辺のふたり』上映案内→
『岸辺のふたり』で秀逸なのは、娘の成長の過程を抜きだして、その世代世代での彼女の微妙な父親への態度の変化を見せる巧みさだ。彼女の父親への思慕の念は変わらないので、態度の変化は彼女自身の生活環境の変化を映し出している。彼女自身が少女だったり、思春期だったり、結婚をしたりする変化を、説明的なシーンを増やすことなく岸辺に立ち寄る娘の姿だけで感じさせるのだ。僕は何度もこの短編を見返したが、その度に前回は気付かなかった行間の物語が頭に浮かぶ。実際には描かれていない、映し出されてもいない場面を思いつき、見た気分になってしまう。理屈で想像するのではない。誰もが持っている感覚で共感できるものなのだ。ただそれがものすごい深い所を刺激する。それがこの映画の良さだと思う。
細かいところを一つ言うと、この父親はアニメ的な誇張で頭が小さく描かれている。それゆえに大きな背中が印象的。それは子供から見た大人というか、子供のころの記憶の中にいる親のすがたでもある。さりげないが、そういう細かい描写が、いちいちグッと来てしまう。自分でチラシをデザインしながら、映画のメインビジュアルでもある、並んで自転車に乗る大きな背中の父親と、本当に小さな娘の後ろ姿が、遠い記憶の中の一コマのように焼き付いて離れない。
まあそんな感じで、オマケも合わせて11分のショートプログラム。口コミが全てのこの企画にいったいどれだけの人が反応してくれるのか?あらたな可能性が開けるのか?不安と期待で心が揺れてます。
2009年12月02日
散歩しながら『クリーン』を思い出した
長い散歩をしながら『クリーン』を思い出した
久しぶりにバスに乗って、牧港まで行った。帰ろうとしてみると、すでに空は夕焼け。ちょうど雲なんかがキレイに色づいてきたもんだから、散歩がてらにそのまま歩いて那覇まで帰ってきた。常に変化していく光りの加減がスペクタクル。薄暗くなり空から色味が消えってくるにつれ、街燈やヘッドライトが点灯してきて、人の生活も浮き上がってくる。その境目の感じがよい。映画を勉強して良かったなと思うのは、頭の中でこの風景を映像と言う言葉で表現し、理解できることだと思う。何故あの雲があんなにキレイに見えるのか?何故、あのビルはこのビルよりもキレイに見えるか?あと5分も経てば、きっとあの辺がもっと美しく浮き上がってくるはず。などと風景のツボみたいなものが、光りの加減で読めてくる。心地よさを反すうしながら、都合に時間歩き続けた。
最近個人的に一番押している映画『クリーン』を僕が好きなのは、まさにそんな心地よさが映画に映っている所だ。単なる風景ショットが、感覚的な刺激を保ったままフィルムに収まっているのだ。例えば、青空に白い雲とか、時計のアップとか、ハイビスカスのアップとか、場面と場面をつなぐ説明的なショットがあるとしよう。多くの場合、そういう絵は記号的で、なんの感動ももたらさずに、場所や時間経過の説明として安易に映し出されている。観てるほうもサラリと流して意識することもない。『クリーン』と言う作品が凄いのは、そういう時に映し出される風景が安易に説明だけで終らない。僕が散歩の途中、夕暮れの光の中で「なんかきもちいいなぁ~、でも言葉で説明しても伝わらないよなぁ~」みたいに思っている感じを、映像という言語でちゃんと描き、観客に伝えてくるのだ。時間経過の明け方のショットを見るだけで、その空気の持つ湿度とかいったものが、ぞわぞわと鳥肌が立つくらいのリアルさで伝わる。徹夜明けのなんとも言えない朦朧とした、絶望と興奮がないまぜになったまま、ぼんやりとたゆたうような気分が、視覚という刺激から入ってきて五感に甦る。その感覚は、映画の登場人物も同じ感じを味わっているのであろうなと、共感を持てるほどに伝わってくる。映像と言う言葉を使って行間を埋めていく丁寧さ、意識の高さに舌を巻く。
風景も役者といっしょで、真面目に向き合えば、被写体が被写体らしくあるための絶妙な瞬間があるのだ。偶然もあるが、狙って狙えない物でもない。にも関わらず、意外とそこまで映し出す映画は少ない。これは撮るほうの意識の問題も大きい。要は情報量に対する意識。《時間経過》を撮りたいだけの人と、《明け方の時間経過》を撮りたい人と、《明け方で曇天で、人の営みが目を覚ます朝》を撮りたいと狙う映像では結果にも差が出てくる。もちろん、こう言ったものはそのショット単体では不十分で、前後のシーンとのアンサンブルでもあり、そこが作家のセンスや技術なんですけどね。
『クリーン』は独りの女性が絶望から希望を拾い上げる感動的な物語で、その筋だけ追ってたって充分に堪能できる映画だ。マギー・チャンの演技は、見終わったら抱きしめたくなるくらい素晴らしい。でも、その演技を殺すことなく、絶妙なテンションを保ち続けるきめの細かい映画作りがこの映画の最大の魅力なんだよね。しかし、問題は爪の垢を飲ませたくなる映画監督が、僕の中に意外に多いってことだ。みんなこういう映画はちゃんと観て、目を肥やそうね。
久しぶりにバスに乗って、牧港まで行った。帰ろうとしてみると、すでに空は夕焼け。ちょうど雲なんかがキレイに色づいてきたもんだから、散歩がてらにそのまま歩いて那覇まで帰ってきた。常に変化していく光りの加減がスペクタクル。薄暗くなり空から色味が消えってくるにつれ、街燈やヘッドライトが点灯してきて、人の生活も浮き上がってくる。その境目の感じがよい。映画を勉強して良かったなと思うのは、頭の中でこの風景を映像と言う言葉で表現し、理解できることだと思う。何故あの雲があんなにキレイに見えるのか?何故、あのビルはこのビルよりもキレイに見えるか?あと5分も経てば、きっとあの辺がもっと美しく浮き上がってくるはず。などと風景のツボみたいなものが、光りの加減で読めてくる。心地よさを反すうしながら、都合に時間歩き続けた。最近個人的に一番押している映画『クリーン』を僕が好きなのは、まさにそんな心地よさが映画に映っている所だ。単なる風景ショットが、感覚的な刺激を保ったままフィルムに収まっているのだ。例えば、青空に白い雲とか、時計のアップとか、ハイビスカスのアップとか、場面と場面をつなぐ説明的なショットがあるとしよう。多くの場合、そういう絵は記号的で、なんの感動ももたらさずに、場所や時間経過の説明として安易に映し出されている。観てるほうもサラリと流して意識することもない。『クリーン』と言う作品が凄いのは、そういう時に映し出される風景が安易に説明だけで終らない。僕が散歩の途中、夕暮れの光の中で「なんかきもちいいなぁ~、でも言葉で説明しても伝わらないよなぁ~」みたいに思っている感じを、映像という言語でちゃんと描き、観客に伝えてくるのだ。時間経過の明け方のショットを見るだけで、その空気の持つ湿度とかいったものが、ぞわぞわと鳥肌が立つくらいのリアルさで伝わる。徹夜明けのなんとも言えない朦朧とした、絶望と興奮がないまぜになったまま、ぼんやりとたゆたうような気分が、視覚という刺激から入ってきて五感に甦る。その感覚は、映画の登場人物も同じ感じを味わっているのであろうなと、共感を持てるほどに伝わってくる。映像と言う言葉を使って行間を埋めていく丁寧さ、意識の高さに舌を巻く。
風景も役者といっしょで、真面目に向き合えば、被写体が被写体らしくあるための絶妙な瞬間があるのだ。偶然もあるが、狙って狙えない物でもない。にも関わらず、意外とそこまで映し出す映画は少ない。これは撮るほうの意識の問題も大きい。要は情報量に対する意識。《時間経過》を撮りたいだけの人と、《明け方の時間経過》を撮りたい人と、《明け方で曇天で、人の営みが目を覚ます朝》を撮りたいと狙う映像では結果にも差が出てくる。もちろん、こう言ったものはそのショット単体では不十分で、前後のシーンとのアンサンブルでもあり、そこが作家のセンスや技術なんですけどね。
『クリーン』は独りの女性が絶望から希望を拾い上げる感動的な物語で、その筋だけ追ってたって充分に堪能できる映画だ。マギー・チャンの演技は、見終わったら抱きしめたくなるくらい素晴らしい。でも、その演技を殺すことなく、絶妙なテンションを保ち続けるきめの細かい映画作りがこの映画の最大の魅力なんだよね。しかし、問題は爪の垢を飲ませたくなる映画監督が、僕の中に意外に多いってことだ。みんなこういう映画はちゃんと観て、目を肥やそうね。
2009年11月26日
沖縄映像コンペ作品を観た…悲喜こもごも
平成20年度 日本観光協会九州ブロック広域推進事業 沖縄映像コンペティション作品集という企画で作られた三本の短編映画を観せていただいた。『ティーダめーる』『ハルサー愛』『やぎの散歩』の三本。沖縄の作り手を支援するプログラムだという。
初見の感想を単純に言うと、中学生の監督仲村颯悟の『やぎの散歩』が抜きんでておもしろかった。比嘉ブラザーズの『ハルサー愛』はかろうじて楽しめる。『てぃーだメール』はひどかった。
人形アニメの作家、比嘉ブラザーズ監督の『ハルサー愛』は、漫画チックな演出と、かわいらしいお色気、馬鹿らしいことを一生懸命にやるというB級映画精神で「伝説のハルサーの娘、愛」のキャラ作りに挑んだ意欲作。粘土を使わずとも、キャラクター作りは彼らの真骨頂。愛情を注ぐべき対象がハッキリしているという意味で楽しめる。ホットパンツに生足、鍬を持って畑に立つ愛の姿はニューヒロイン誕生を予感させる。でも予感だけ。誕生篇ではなく、活躍篇をちゃんと作って欲しい。つうか誕生篇はそのあとでしょ。そこそこ楽しめるけど、そこそこでしかないのがもったいない。
『ティーダめーる』の最大の問題は、オチ一発ですべてを成立させている所。とにかく何が言いたいか判らないままラストのオチで逃げ切っている。でもこれは話を終らせたのではなく、投げ出しただけ。とにかく映画全体がオチのための説明でしかない。伏線はワクワクするが、説明ではおもしろくなるわけがない。オチをアイディアのスタートにして、そこから物語を転がせば少しは膨らみや、工夫が生れてくるのに、そんな努力は微塵も感じられない。さらに言えば現場で簡単にできることをやっていない荒さもある。そのくせ良い機材を使ったり、モデル事務所所属の可愛い女の子は出ている。でも全て無駄。なにしろ内容がラストクレジットだけで語れるから。そのさいのテロップのスピードからして観客をバカにしたようなデタラメなスピード。コンペって名が付くからには一種の内容保証だと思うんですが、これでいいんですか?作った監督よりも、周囲の人に聞きたいです。
『やぎの散歩』だけは唯一、作品として観れるた。何が良いかと言うと、作り手の言いたいことが観客に届くってこと。または作家の素朴な疑問を、映画と言う言葉できっちりと問い掛けようとしているところ。つきつめるとそういう観客との向き合い方が、まっとうなのだ。映画は作家のものではない、観客と分かち合うものなのだと僕は思います。もちろん、映画的センスのよさ、楽しさ、そして奇跡的なヤギの演技。観た後に残る問いかけ…。すべてにおいて『ヤギの散歩』はおもしろい。語りかけようとしている、そのスタンスだけで、仲村颯悟監督は作家としての評価の対象になると思います。もっと彼の作品を観たいです。
この企画全体は、プロが新しい作家を支援すると言うことらしいのだが…、レールを敷くだけがプロの仕事ではないはず。良い所を拾い上げて、ダメな所をちゃんと指摘して考えさせなきゃダメだと思う。なんかプロの仕事の方向が観客ではなく、クライアントに向いている感じがして不安です。それはハッキリ違うと言います、アタシは。劇場のオヤジの視点としてはね。つうか、みんな沖縄に映像産業を根付かせようと必死なのはわかる。大人の事情で言いにくいことがいっぱいあるのはわかる。私だって知り合いばっかりだし。でもね、他県での評価をあげたいんなら、茶番に終らないような評価の基準と見識を、プロが持っているといることが必要なのではないでしょうか?
初見の感想を単純に言うと、中学生の監督仲村颯悟の『やぎの散歩』が抜きんでておもしろかった。比嘉ブラザーズの『ハルサー愛』はかろうじて楽しめる。『てぃーだメール』はひどかった。
人形アニメの作家、比嘉ブラザーズ監督の『ハルサー愛』は、漫画チックな演出と、かわいらしいお色気、馬鹿らしいことを一生懸命にやるというB級映画精神で「伝説のハルサーの娘、愛」のキャラ作りに挑んだ意欲作。粘土を使わずとも、キャラクター作りは彼らの真骨頂。愛情を注ぐべき対象がハッキリしているという意味で楽しめる。ホットパンツに生足、鍬を持って畑に立つ愛の姿はニューヒロイン誕生を予感させる。でも予感だけ。誕生篇ではなく、活躍篇をちゃんと作って欲しい。つうか誕生篇はそのあとでしょ。そこそこ楽しめるけど、そこそこでしかないのがもったいない。
『ティーダめーる』の最大の問題は、オチ一発ですべてを成立させている所。とにかく何が言いたいか判らないままラストのオチで逃げ切っている。でもこれは話を終らせたのではなく、投げ出しただけ。とにかく映画全体がオチのための説明でしかない。伏線はワクワクするが、説明ではおもしろくなるわけがない。オチをアイディアのスタートにして、そこから物語を転がせば少しは膨らみや、工夫が生れてくるのに、そんな努力は微塵も感じられない。さらに言えば現場で簡単にできることをやっていない荒さもある。そのくせ良い機材を使ったり、モデル事務所所属の可愛い女の子は出ている。でも全て無駄。なにしろ内容がラストクレジットだけで語れるから。そのさいのテロップのスピードからして観客をバカにしたようなデタラメなスピード。コンペって名が付くからには一種の内容保証だと思うんですが、これでいいんですか?作った監督よりも、周囲の人に聞きたいです。
『やぎの散歩』だけは唯一、作品として観れるた。何が良いかと言うと、作り手の言いたいことが観客に届くってこと。または作家の素朴な疑問を、映画と言う言葉できっちりと問い掛けようとしているところ。つきつめるとそういう観客との向き合い方が、まっとうなのだ。映画は作家のものではない、観客と分かち合うものなのだと僕は思います。もちろん、映画的センスのよさ、楽しさ、そして奇跡的なヤギの演技。観た後に残る問いかけ…。すべてにおいて『ヤギの散歩』はおもしろい。語りかけようとしている、そのスタンスだけで、仲村颯悟監督は作家としての評価の対象になると思います。もっと彼の作品を観たいです。
この企画全体は、プロが新しい作家を支援すると言うことらしいのだが…、レールを敷くだけがプロの仕事ではないはず。良い所を拾い上げて、ダメな所をちゃんと指摘して考えさせなきゃダメだと思う。なんかプロの仕事の方向が観客ではなく、クライアントに向いている感じがして不安です。それはハッキリ違うと言います、アタシは。劇場のオヤジの視点としてはね。つうか、みんな沖縄に映像産業を根付かせようと必死なのはわかる。大人の事情で言いにくいことがいっぱいあるのはわかる。私だって知り合いばっかりだし。でもね、他県での評価をあげたいんなら、茶番に終らないような評価の基準と見識を、プロが持っているといることが必要なのではないでしょうか?
2009年11月25日
ようやく日本公開!『クリーン』絶対に観てね
まちがいなく今年公開した作品の中でベスト5に入れたい作品。この作品の素晴らしさを二つあげると、役者の演技と、演出の態度だと思う。作品の内容に関しては桜坂劇場の公式サイトをご覧下さい。→関連サイト
かつてジャッキー・チェンとも共演した香港のスター、マギー・チャンは、この作品でカンヌの主演女優賞を受賞したというが、もう見れば納得である。義父役で共演のニック・ノルティもたまんなく良い。セリフはほとんどないのだが、思っていることがすごく伝わってくるのだ。観たまんま心の大きい人。それに対するマギー・チャンの今にも折れてしまいそうな、というかポキポキ折れながらもがんばる姿に涙。他の出演者も出番少なくても全然問題ないくらい存在感あり。つまり、何を考えているのかとか、どんな気持ちなのか、そんなことが伝わってくる演技力+演出力。うまい演技ってこういことだよ。
映画作ってみたいと言う人は、アサイヤスの映画は観た方が良い。大きな予算や派手な機材がなくたって素晴らしいドラマを作りだせることが実感できるから。いわゆるスーパーショットみたいなケバイシーンはどこにもない。すべてにおいてなんでもないのに、気がつけばすげぇ〜ポテンシャルの高いシーンができ上がっている。ただの風景ショットでさえも、何か臭いや湿度が伝わってくるような概視感を与えてくれる丁寧さ。なまちがいなく、この人は全ショット、全キャラクターを愛している。不必要な装飾は取っ払って、愛するものの魅力一本で乗り切る。そんな覚悟と信頼が映画にみなぎっている。しかも、肩に力が入っているように見えない。上手い。上手い映画と言うのは説明しづらいし、それ自体はなんの売りにもならないのだけど、良いものには触れておいて損はないでしょう。
アサイヤス監督はフランスの映画批評誌『カイエ・ド・シネマ』の編集から映画監督になった人。つまりヌーヴェルバーグの末裔。無駄なく、シンプルできれいな言葉(映像)で語りかけるスタイルは、研究者という理性的な思考から来るのかも知れない。が、頭でっかちではない、誰にでもわかるシンプルさを私は愛してやまないです。
かつてジャッキー・チェンとも共演した香港のスター、マギー・チャンは、この作品でカンヌの主演女優賞を受賞したというが、もう見れば納得である。義父役で共演のニック・ノルティもたまんなく良い。セリフはほとんどないのだが、思っていることがすごく伝わってくるのだ。観たまんま心の大きい人。それに対するマギー・チャンの今にも折れてしまいそうな、というかポキポキ折れながらもがんばる姿に涙。他の出演者も出番少なくても全然問題ないくらい存在感あり。つまり、何を考えているのかとか、どんな気持ちなのか、そんなことが伝わってくる演技力+演出力。うまい演技ってこういことだよ。
映画作ってみたいと言う人は、アサイヤスの映画は観た方が良い。大きな予算や派手な機材がなくたって素晴らしいドラマを作りだせることが実感できるから。いわゆるスーパーショットみたいなケバイシーンはどこにもない。すべてにおいてなんでもないのに、気がつけばすげぇ〜ポテンシャルの高いシーンができ上がっている。ただの風景ショットでさえも、何か臭いや湿度が伝わってくるような概視感を与えてくれる丁寧さ。なまちがいなく、この人は全ショット、全キャラクターを愛している。不必要な装飾は取っ払って、愛するものの魅力一本で乗り切る。そんな覚悟と信頼が映画にみなぎっている。しかも、肩に力が入っているように見えない。上手い。上手い映画と言うのは説明しづらいし、それ自体はなんの売りにもならないのだけど、良いものには触れておいて損はないでしょう。
アサイヤス監督はフランスの映画批評誌『カイエ・ド・シネマ』の編集から映画監督になった人。つまりヌーヴェルバーグの末裔。無駄なく、シンプルできれいな言葉(映像)で語りかけるスタイルは、研究者という理性的な思考から来るのかも知れない。が、頭でっかちではない、誰にでもわかるシンプルさを私は愛してやまないです。
2009年11月24日
『トーテム Song for home』拾い物な傑作
関連ページ→もうすぐ公開される若木信吾監督の『トーテム Song for home』は地味ですが拾い物の傑作です。台北でミュージシャンとして活躍する若者たちを追っているドキュメンタリーですが、興味深いのは彼らの台北での活動よりも、彼らのルーツにある先住民族の芸能に寄っているということ。若者向けの音楽映画ではなく、故郷、民族、伝統、自分の人生、そんなキーワードが絡み合う深みと幅のある作品になっている。まあとにかく音楽も、田舎の人々の屈託のない笑顔も、民族の伝統と言う大きな流れも、まるごとたっぷり、しかし緩やかな時間の流れのように観ているこっちに流れ込んでくる。ハッピーな気分になれる作品だった。
なかでも村祭りの芸能を、青年会の先輩が教えるような場面がある。やたらと怒鳴りながら、若い連中はなにもわかってねーな!的な威張り方で嬉々として指導をする先輩方(けっこう年配)の姿が、なんか沖縄のエイサーの練習とかでもいそうなキャラクターだったりして親近感がわく。いや伝統芸能と言うのは、こういうお祭り男がいてこそ伝わるのだろう。こういう先輩方が住む故郷があり続けると言うことが、外に出ていった若者には何よりも心の支えになるのではないだろうか。台湾と関係なく、それぞれがそれぞれの故郷を思い巡らして観れる作品だと思う。エイサーじゃなくても「ああ、こんな人、近所にいたなぁ〜」みたいな気分で観れるんじゃないでしょうか。
監督は写真家の若木信吾。映画監督としては桜坂劇場でも上映した『星影のワルツ』(夢路いとし主演)がある。写真家だからと言うわけではないが、被写体にきちんと正対して真摯にレンズを向けている感じが好きだ。
先頃上映した『台湾人生』でも、日本の軍歌を歌う老人たちがいたが、こちらもそんな楽しい場面がある。ただこっちの人たちの方が、日本だ、台湾だ、中国だとか、そんな世界情勢に関係なく、ただ楽しいからとか、仲間ともりあがるからとか、そんな日常情的な風景に見えて素直に嬉しくなる。こういう風景を観て、日本の文化侵略の影を感じる人もいると思う。でも僕は素直に、軍歌を唄いながらもしっかりと自分たちの芸能を守り、故郷の文化を愛し続ける人がいると言うことに感動してしまうのでした。
さて桜坂劇場の上映初日12月12日(土) 11:20の回の上映終了後、若木伸吾監督の舞台挨拶あり。見にきてね。
2009年09月16日
9/21(月) 鶴瓶さん、西川監督も来館
連休のせいか、ゲストラッシュ。絶賛大ヒット上映中の『ディア・ドクター』に主演の笑福亭鶴瓶さんと、西川美和監督のお二人が、21日の16:20の回に舞台挨拶に来ていただけます。当日は混雑が予想されますので、整理券を配布いたします。
当日の朝の9:30から、16:20の回のチケットをお求めになったお客様か、招待券などお持ちのお客様が対象になります。招待券でごらんになる予定の方は、整理券を受け取る際にご提示ください。
というわけで、気分を盛り上げるために鶴瓶さんの切り出しを作ってしまいました。一足先にニセ鶴瓶さんがお出迎えです。
並んで記念写真も撮れます。
映画も深いテーマをあつかった良い作品ですので、ぜひおご覧ください。
沖縄市では沖縄市民小劇場あしびなーでも上映があります。
2009年09月15日
『マン・オン・ワイヤー』にしみじみ
『マン・オン・ワイヤー』。なに故か、熱狂的なファンを産み出す作品。「四回観た」「友人を連れて来た」なんて方から電話もあった。かくいう僕も大好きな作品。フランスの大道芸人プティが、アメリカのワールド・トレード・センターに忍び込み、無許可でツインタワーのあいだにロープを張って綱渡りをした事件のドキュメンタリー。いわゆる社会派ではないし、生活に関わる問題とかではないけど、夢を追って生きたプティとその仲間たちの行動がスリリングかつ、ドラマティックに見えてくるドキュメンタリー。今年のアカデミー賞も受賞している。
しかし、このドキュメンタリーのおもしろさは、むしろ本筋の夢へのトライより、その夢の実現を頂点にして、やがて解散して離ればなれになるホロ苦いバックストーリーにある。みんなが一生懸命のめりこんだからこそ、相手の良いところも悪いところも見えてしまう。夢に向かって進んでいるときは良いが、結果を出してからは急速に離れていく人の心のやるせなさ。しかし、後味が悪い作品と思わないでほしい。今は解散した仲間が、あの綱渡りの瞬間を目を輝かせながら語る様に、後悔はみじんも感じられない。そういうキラキラした瞬間をいくつ持っているかが、人の価値なのかもしれない。ともかく、いろんな意味で元気になれる作品です。
『マン・オン・ワイヤー』公式サイト
2009年09月13日
ジブリからのプレゼント
本日ジブリ美術館より、『ウォレスとグルミット』上映の初日プレゼントが到着。
9/19(土)の初回には先着
1)初回上映先着プレゼント 100セット
・オリジナルティーバッグ(ウォレス&グルミット、もしくはパイエラ&フラフルス
バージョンのいずれか)
・ポストカード
2)昼のトークショーではなんと抽選会で
9/19(土) 12:40の回の後のトークショー
・オリジナルペーパーバッグ
・グルミットねんどキット
・アードマン展ポストカードブック&ステッカー
・三鷹の森ジブリ美術館ポストカードセット
3)ワークショップ参加者用プレゼント
9/19(土) 16:00〜 の桜坂市民大学特別講座
講師:三鷹の森ジブリ美術館館長さんの参加記念グッズとして
・ムゼオ虫クリアファイル
・美術館ピンバッヂ
大盤振る舞いです。
--------------------------------------------------------
この日のトークショーと市民大学は、三鷹の森ジブリ美術館の中島清文館長を迎えてのお話になります。
トークショーは『ウォレストグルミット』の監督ニック・パークのことや、アニメをもっとみましょうという話。
市民大学では、もっと突っ込んでアニメの歴史、ジブリ美術館ライブラリー作品の解説。そして美術館の運営など深い話をざっくばらんにお聞きします。館長さん以外にも、ジブリ美術館のスタッフの方が大勢きていますので、いろいろお話が聞けそうです。
翌週の宮村優子さんのトークと、二週続けてアニメのお話が聞ける、桜坂劇場ならではのスペシャル企画です。
PS
ジブリ美術館のライブラリー作品『動物農場』の上映も決定しました。動物たちが威張ってばかりの人間を追い出して、動物たちの楽園のような農場を作るが、一人の独裁者が現れて…。ソビエトのスターリン体制を批判したジョージ・オーウェル原作の、大人のための傑作アニメ。こちらの話もいろいろ聞けると思います。
9/19(土)の初回には先着
1)初回上映先着プレゼント 100セット
・オリジナルティーバッグ(ウォレス&グルミット、もしくはパイエラ&フラフルス
バージョンのいずれか)
・ポストカード
2)昼のトークショーではなんと抽選会で
9/19(土) 12:40の回の後のトークショー
・オリジナルペーパーバッグ
・グルミットねんどキット
・アードマン展ポストカードブック&ステッカー
・三鷹の森ジブリ美術館ポストカードセット
3)ワークショップ参加者用プレゼント
9/19(土) 16:00〜 の桜坂市民大学特別講座
講師:三鷹の森ジブリ美術館館長さんの参加記念グッズとして
・ムゼオ虫クリアファイル
・美術館ピンバッヂ
大盤振る舞いです。
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この日のトークショーと市民大学は、三鷹の森ジブリ美術館の中島清文館長を迎えてのお話になります。
トークショーは『ウォレストグルミット』の監督ニック・パークのことや、アニメをもっとみましょうという話。
市民大学では、もっと突っ込んでアニメの歴史、ジブリ美術館ライブラリー作品の解説。そして美術館の運営など深い話をざっくばらんにお聞きします。館長さん以外にも、ジブリ美術館のスタッフの方が大勢きていますので、いろいろお話が聞けそうです。
翌週の宮村優子さんのトークと、二週続けてアニメのお話が聞ける、桜坂劇場ならではのスペシャル企画です。
PS
ジブリ美術館のライブラリー作品『動物農場』の上映も決定しました。動物たちが威張ってばかりの人間を追い出して、動物たちの楽園のような農場を作るが、一人の独裁者が現れて…。ソビエトのスターリン体制を批判したジョージ・オーウェル原作の、大人のための傑作アニメ。こちらの話もいろいろ聞けると思います。
2009年09月13日
声優 宮村優子さん、特別講師! 9/26(土)
9/26(土)『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』でも、アスカ役で出演されている声優の宮村優子さんが、桜坂劇場でトークショー決定。ヒューマンアカデミー那覇校での講座のために来沖されるのですが、そちらは学生のみが対象。せっかくなので、外部の人にも声優という職業に興味を持っていただきたいと言うことでの桜坂ヒューマンアカデミーさんのご厚意で、桜坂劇場開催も決定。長年のファンの方はもちろん、将来声優になりたいというあなたお待ちしております。
9/26(土) 19:00〜20:30
参加料 1,500円(チケット制です。劇場窓口にて販売。電話予約あり)
定員 30名を予定
2009年09月13日
『八岐大蛇の逆襲』覚えてますか
オタクという言葉が市民権を獲得し始めた80年代後半。その総本山ともいえるイベントが大阪で開催された第20回日本SF大会(通称ダイコン3)だった。そのときのメンバーが作った自主製作映画が『八岐大蛇の逆襲』。沖縄でちまちま自主映画を作っていた僕には、まるで革命の狼煙(のろし)のように衝撃的に見えた。『八岐大蛇の逆襲』は、アマチュアでもセンスがあればプロを凌駕する作品が作れることを証明した金字塔である。もちろん潤沢な予算があるわけではない。プロの作品に比べれば、見劣りする完成度とも言える。しかし、作り手のイメージは、観客の脳内で増幅されて伝わった。プロのワンパターンなお約束だらけの特撮映画では得られなかったイメージがスパークしたのを忘れることができない。観客が観たかったものを、プロではなくアマチュアが提供してくれたのだ。
現代は機材や技術の進歩で、アマチュアがプロのような映像を簡単に作れる時代だ。インターネットを探せば、まるでプロのような特撮映画やCG作品がたくさん流れている。県内でもそういう作品を何本か観たことがある。しかし、そのほとんどはプロのマネゴトを超えられない。上手だなとは思っても、プロならもっと金をかけて凄いのを見せてくれるとしか思えない。彼らに大金を渡すくらいなら、「こんな感じで」っと言ってプロにオーダーしたほうがきっと凄い作品を作るだろうと思える。でも『八岐大蛇の逆襲』はそうではなかった。彼らがプロと同じステージに立てば、日本の映像界は変わる。もしくは変えてやろうという気概を感じた。作品を作るということは、自己表現の枠を超えて、何かを世に問いかけ、挑戦することなのだと思い知らされる。そのことは、この映画を作ったDAICON FILMのメンバーの多くが、のちにプロになり新しい映像を作りだしたことが証明している。例えば平成『ガメラ』シリーズの特技監督、樋口真嗣氏などわかりやすいだろう。『ガメラ』の特撮は、見た目だけでなく方法論すべてを塗り替えたと思う。もちろん『ヱヴァンゲリヲン』の庵野秀明もそうだ。(DAICON FILMはやがてGAINAXとなり『ヱヴァンゲリヲン』を生み出した)。そんなわけで『エヴァ』大ヒットの今、再評価の光を当てたいと思います。アニメファンに限らず、日本映画のエポックメーキングになる作品を、是非ごらんください。
上映日程:10/3(土)〜5(月)、7(水) 21:40 (桜坂劇場 ホールB)
PS
ちなみに庵野秀明氏も、演技者として出演しています。
2009年07月07日
最近の映画状況と仕組み
『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』の沖縄初日が10/3に決定しました。
いろいろ厳しい意見が掲示板に書かれたりしてますが、もうしばらくお待ちください。
あと僕から言うと、いいわけがましいのですが、掲示板に
「どうして沖縄の公開ってこんなに遅いのか教えていただけないでしょうか?」
質問があったので、今の日本の映画界の状況を書いてみます。
ファンの皆様も知っていて損はないと思うので書いてみます。興味がある方はお読みください。
映画の製作費というのは作るのに直接かかるお金。いわゆる直接製作費と、完成した作品を配給・宣伝するためのお金(P&A)があります。後者には映画のプリントを焼き増しするお金が入っています。映画一本のフィルムを焼くのに数十万円か用意する訳です。つまり公開劇場が増えると、その分金額がかさみます。一般的にはある程度のプリントを用意するのは制作会社、配給会社のリスクになります。この映画は100本くらいが妥当かな?と思っても、300本用意しなきゃダメと言われたら、泣く泣く焼き増しすることになります。公開劇場が増えて、全体の収入がふえても元が取れない状況もありうるわけです。
なおかつ一斉公開するためには、全国に行き届かせるための大宣伝の費用もかかってくる。短期決戦。とにかくヒットしないとシネコン
では、小さなスクリーンのホールに格下げとなり、ひどければ打ち切り。おのずと東宝+フジテレビ的大宣伝、大配給網に支えられた映画の一人勝ち状態が続いてしまうのもしょうがないわけです。
反対にインディーズの会社や、ミニシアター系の小さな配給会社は5〜6本。最近は2〜3本のプリントを半年から一年かけて、口コミなどを使って地道に上映するスタイルで、なんとかがんばっています。いろいろ長引きますが、プリント代も宣伝費も抑えられるので、一館あたりの利益率は高くなるわけです。うまくいけばですけどね。
映画がもっと娯楽の横道だったころは、全国一斉ロードショーがあたりまえでした。今はそういう時代ではないなかで、作品と観客にとってベストの上映をおこなうためのスタイルが模索されているかんじです。
まとめると、ようするに宣伝の鮮度と、一館あたりの利益率から、ファースト・ランで用意する上映プリントの本数が導き出されてくるわけです。『ヱヴァ〜』は今回は120本くらい回しているようですが、ハリウッドの大作なら300本とか用意する訳ですから、けして多いわけではありません。もちろん、大手の配給網と組んで、本数を焼いてもらうこともできるでしょうが、それでは中間マージンをたっぷり取られてしまう。制作会社のカラーズが、中規模の上映になってもインディーズという方法を選択したのは、きちんと利益をあげて、無駄なく次回作の制作に回していけるからだと思います。誰かに頼っていてはやってらんないのが今の日本の映画界の現状です。
さらに『ヱヴァ』のようなファンがしっかりついている作品は、変な話、本数を絞って順繰り公開しても、観客がそれほど離れていかない鮮度の長い作品だったりするわけで、ファンにとっては切ない状況が導き出されやすいということもあるかもしれません。それでも120本というのはインディーズ作品としては多いほうだし、『序』のプリント本数は2桁代だったと記憶しているので、着実に本数も増え、状況は良くなっています。まだまだ不十分ですが。
三作目のときに状況がよくなるかどうかは、『破』の動員や盛り上がりも重要なわけです。そこで沖縄での公開が3ヶ月伸びたので、その間になにかイベントでも仕込めないかと考えています。わたしも日々考えていますが、本当はファンの皆さんと巻き込んで作れればいいのですが。どうなんでしょう。企画提案募集しております。
いろいろ厳しい意見が掲示板に書かれたりしてますが、もうしばらくお待ちください。
あと僕から言うと、いいわけがましいのですが、掲示板に
「どうして沖縄の公開ってこんなに遅いのか教えていただけないでしょうか?」
質問があったので、今の日本の映画界の状況を書いてみます。
ファンの皆様も知っていて損はないと思うので書いてみます。興味がある方はお読みください。
映画の製作費というのは作るのに直接かかるお金。いわゆる直接製作費と、完成した作品を配給・宣伝するためのお金(P&A)があります。後者には映画のプリントを焼き増しするお金が入っています。映画一本のフィルムを焼くのに数十万円か用意する訳です。つまり公開劇場が増えると、その分金額がかさみます。一般的にはある程度のプリントを用意するのは制作会社、配給会社のリスクになります。この映画は100本くらいが妥当かな?と思っても、300本用意しなきゃダメと言われたら、泣く泣く焼き増しすることになります。公開劇場が増えて、全体の収入がふえても元が取れない状況もありうるわけです。
なおかつ一斉公開するためには、全国に行き届かせるための大宣伝の費用もかかってくる。短期決戦。とにかくヒットしないとシネコン
では、小さなスクリーンのホールに格下げとなり、ひどければ打ち切り。おのずと東宝+フジテレビ的大宣伝、大配給網に支えられた映画の一人勝ち状態が続いてしまうのもしょうがないわけです。
反対にインディーズの会社や、ミニシアター系の小さな配給会社は5〜6本。最近は2〜3本のプリントを半年から一年かけて、口コミなどを使って地道に上映するスタイルで、なんとかがんばっています。いろいろ長引きますが、プリント代も宣伝費も抑えられるので、一館あたりの利益率は高くなるわけです。うまくいけばですけどね。
映画がもっと娯楽の横道だったころは、全国一斉ロードショーがあたりまえでした。今はそういう時代ではないなかで、作品と観客にとってベストの上映をおこなうためのスタイルが模索されているかんじです。
まとめると、ようするに宣伝の鮮度と、一館あたりの利益率から、ファースト・ランで用意する上映プリントの本数が導き出されてくるわけです。『ヱヴァ〜』は今回は120本くらい回しているようですが、ハリウッドの大作なら300本とか用意する訳ですから、けして多いわけではありません。もちろん、大手の配給網と組んで、本数を焼いてもらうこともできるでしょうが、それでは中間マージンをたっぷり取られてしまう。制作会社のカラーズが、中規模の上映になってもインディーズという方法を選択したのは、きちんと利益をあげて、無駄なく次回作の制作に回していけるからだと思います。誰かに頼っていてはやってらんないのが今の日本の映画界の現状です。
さらに『ヱヴァ』のようなファンがしっかりついている作品は、変な話、本数を絞って順繰り公開しても、観客がそれほど離れていかない鮮度の長い作品だったりするわけで、ファンにとっては切ない状況が導き出されやすいということもあるかもしれません。それでも120本というのはインディーズ作品としては多いほうだし、『序』のプリント本数は2桁代だったと記憶しているので、着実に本数も増え、状況は良くなっています。まだまだ不十分ですが。
三作目のときに状況がよくなるかどうかは、『破』の動員や盛り上がりも重要なわけです。そこで沖縄での公開が3ヶ月伸びたので、その間になにかイベントでも仕込めないかと考えています。わたしも日々考えていますが、本当はファンの皆さんと巻き込んで作れればいいのですが。どうなんでしょう。企画提案募集しております。
2009年06月20日
『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』の公開時期について
いよいよ全国では『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』が封切られます。
そのため、桜坂劇場にも公開時期について問合せがチラホラきています。
しかし、残念ながら沖縄での公開は10月までずれ込みそうな気配です。
言い訳ではないですが、状況を説明しておきたいと思います。
興行の世界の慣例として、映画の上映する期間というのは封切日に決まります。初日と二日目あたりの観客動員をみて、何週間上映するというのを決めるわけです。つまり初日が来るまでは、桜坂劇場のような2順目の劇場は、フィルムがいつ届くのかわからないわけです。
そしてまた間の悪いことに、6月末には桜坂劇場は、9月の予定を決めなければいけない時期でもあります。
ここで確約がとれないと、10月に上映ということになってしまうため、配給担当者と連絡を取りあっている状況です。
まギリギリまで粘って確約をとれても9月末というのが現状だと思っていて下さい。
今月末には、日程が出ると思います。
そのため、桜坂劇場にも公開時期について問合せがチラホラきています。
しかし、残念ながら沖縄での公開は10月までずれ込みそうな気配です。
言い訳ではないですが、状況を説明しておきたいと思います。
興行の世界の慣例として、映画の上映する期間というのは封切日に決まります。初日と二日目あたりの観客動員をみて、何週間上映するというのを決めるわけです。つまり初日が来るまでは、桜坂劇場のような2順目の劇場は、フィルムがいつ届くのかわからないわけです。
そしてまた間の悪いことに、6月末には桜坂劇場は、9月の予定を決めなければいけない時期でもあります。
ここで確約がとれないと、10月に上映ということになってしまうため、配給担当者と連絡を取りあっている状況です。
まギリギリまで粘って確約をとれても9月末というのが現状だと思っていて下さい。
今月末には、日程が出ると思います。
2009年05月17日
がんばれ県立博物館・美術館!
最近、もっともがっかりしたことは、沖縄県立博物館・美術館(以下、県立美術館)が、すでにNY、東京と巡回してきたグループ展『アトミックサンシャインの中へ 平和憲法第九条下における戦後美術』の展示から、天皇の画像をコラージュした連作『遠近を抱えて』をはずしてしまい、なおかつその理由や基準を曖昧にしていることです。そりゃあルーブル美術館と肩を並べるのはむりとしても、金沢や青森の県立美術館のように刺激的な展示と美術教育をすすめるフラッグシップになるのでは!と期待していただけにね。事なかれ主義のもやもやだらけの状態に、県民税払っている身としてはなんのこっちゃい!と憤りひとしおです。でも、それならばと調べてみると、大浦さんは映画も作っていて、『遠近を抱えて』から通底するテーマがながれている。ならばということで桜坂劇場で最新作を上映することにしました。ちょうど、レイトショーで『ゆきゆきて神軍』を上映することにしていたので、その二作品のミニ特集です。並べると《タブー》というテーマがハッキリ見えてくる。タナボタ企画ですみませんが、「リアルタイム」「時代に敏感」ということで観て欲しい二本です。

『ゆきゆきて神軍』は、歴史に残るドキュメンタリー映画の名作。反天皇制、戦争の責任を叫ぶ主人公というイメージが強烈過ぎて、東京で大ヒットしたにも関わらず、沖縄の劇場では上映ができなかった作品。実は港に停泊中のピースボート船内で、監督のシンポジウム付きで上映されただけでした。学生のころ見に行ったのが懐かし。一方、渦中の人、大浦信行さんの最新作『9.11-8.15 日本心中』は、今回の県立美術館の問題とは直接関係ありませんが、大浦さんの抱えるテーマは先に述べたように一貫しています。
特集の日程は桜坂劇場公式サイトで
この二つ映画に起こった状況が意味するのはなんだろう?沖縄は戦争や天皇制の問題に対してもっと進歩的な県だと思っていたけど?…。そんな疑問をもとに、今回の特集を組みました。沖縄県立博物館・美術館の問題は、現在進行形ということもあり、ネットなどで確認していただくと、この映画のこと、特集のことがわかりやすいかと思います。ぜひググって予習しといてください。
で、問題の大浦信行さんのコラージュ作品『遠近を抱えて』ですが、5/16(土)~5/31(日)の期間、南風原の画廊沖縄で展示されています。初日に行ってきましたが、いやあ想像以上に美しい作品でした。僕の私感ですが、作品から大浦さんの天皇に対する悪意は感じませんでした。大浦さんも『この作品は自画像』だとおっしゃっているように、日本人として生まれ育つ中で、自然と身体すり込まれた天皇と天皇制という制度への、何とも言えない愛憎が感じられましたが。それは天皇批判というよりも、自己批判に近い。そのうえで、我々観客に「あなたはどうなんですか?日本をどうしたいんですか?」と問題提起する深みを持っている。攻撃的というよりは、むしろ穏やかです。それゆえに静かにくすぶり続けるエネルギーを感じました。どうぞ気になる方は、画廊沖縄へ足を運んで下さい。こういう作品を公共施設で展示できないのが、今の沖縄の現実なんですね。
一応誤解のないように書いておきますが、県立美術館が、自主判断で展示の内容を決めること自体にケチをつける気は実はありません。むしろそのことが言論弾圧と言われてしまうのも正直すっきりしません。僕個人の考えですが、劇場にも主体性があるから僕らは作品を選びます。ただ僕らが県立美術館に近いことをするときは、その基準をハッキリさせます。「作家と合意の元」なんて責任回避で丸め込むもよろしくない。劇場の意思として作家に条件を飲んでもらったということをしっかりアナウンスすべきだと考えます。合意したから文句を言うなというならそれは立場を利用した弾圧になる。作家が身体をはって世に問うたものを表に出さない劇場側の基準は身体をはって示さないと失礼でしょう。簡単にいえば、拒否する権利を持つなら、拒否した責任を劇場はおわなきゃいけない。そもそも、その基準こそが劇場の主体であり、プライドであり、売りなんだから恥じることも隠すこともないはず。劇場の主体性を示すためにも、どんどん公言すべきでしょう。影響力のある県立美術館が主体性のないことをして、劇場が「展示を選ぶなんて言論弾圧だ!」みたいな論調が広がると正直、町場の零細企業としては、いい迷惑としか言えません。基準の内容で、世間からバカにされたとしても、思っていることを身体をはって言えばいい。作家を守り育てるのも、作家とガチで勝負するのも劇場の仕事。それをせずに一方的になかったことにしようとするなら、立場を利用した弾圧と言われてもしょうがない。まあ結局そういうことに行き着いちゃう。悲しいね、期待していただけに…。公的施設に主体性を問うのはまちがいなんでしょうか?
画廊沖縄で作家の大浦さんと立ち話をしていて、「たぶん美術館に基準はないと思う。事なかれ主義なんだよね」という勝手な、極めてもやもやの残る結論を持ったまま、僕は画廊沖縄を後にしました。実は隠してるわけじゃなくて、責任をとりたくないだけだということでしょうか。もやもやします。そのもやもやこそがタブーというものの本質だと思います。国家権力がどうこうとか大げさな話に行く前に、世の中の言わない意思と、聞かない無意識がタブーの温床というところでしょうか?
『ゆきゆきて神軍』のバカみたいに突撃して責任を迫る鬼のような奥崎謙三。『9.11-8.15 日本心中』の彷徨うように識者の話に耳を傾け続ける針生一郎。ある意味対照的な二人の人間のタブーへの肉薄が、図らずも今の沖縄の現実を炙り出したことが興味深い。今日で県立美術館の『アトミック・サンシャイン~』の展示は終わりですが、今後もこの話題は注目していきたいところです。

『ゆきゆきて神軍』は、歴史に残るドキュメンタリー映画の名作。反天皇制、戦争の責任を叫ぶ主人公というイメージが強烈過ぎて、東京で大ヒットしたにも関わらず、沖縄の劇場では上映ができなかった作品。実は港に停泊中のピースボート船内で、監督のシンポジウム付きで上映されただけでした。学生のころ見に行ったのが懐かし。一方、渦中の人、大浦信行さんの最新作『9.11-8.15 日本心中』は、今回の県立美術館の問題とは直接関係ありませんが、大浦さんの抱えるテーマは先に述べたように一貫しています。特集の日程は桜坂劇場公式サイトで
この二つ映画に起こった状況が意味するのはなんだろう?沖縄は戦争や天皇制の問題に対してもっと進歩的な県だと思っていたけど?…。そんな疑問をもとに、今回の特集を組みました。沖縄県立博物館・美術館の問題は、現在進行形ということもあり、ネットなどで確認していただくと、この映画のこと、特集のことがわかりやすいかと思います。ぜひググって予習しといてください。
で、問題の大浦信行さんのコラージュ作品『遠近を抱えて』ですが、5/16(土)~5/31(日)の期間、南風原の画廊沖縄で展示されています。初日に行ってきましたが、いやあ想像以上に美しい作品でした。僕の私感ですが、作品から大浦さんの天皇に対する悪意は感じませんでした。大浦さんも『この作品は自画像』だとおっしゃっているように、日本人として生まれ育つ中で、自然と身体すり込まれた天皇と天皇制という制度への、何とも言えない愛憎が感じられましたが。それは天皇批判というよりも、自己批判に近い。そのうえで、我々観客に「あなたはどうなんですか?日本をどうしたいんですか?」と問題提起する深みを持っている。攻撃的というよりは、むしろ穏やかです。それゆえに静かにくすぶり続けるエネルギーを感じました。どうぞ気になる方は、画廊沖縄へ足を運んで下さい。こういう作品を公共施設で展示できないのが、今の沖縄の現実なんですね。
一応誤解のないように書いておきますが、県立美術館が、自主判断で展示の内容を決めること自体にケチをつける気は実はありません。むしろそのことが言論弾圧と言われてしまうのも正直すっきりしません。僕個人の考えですが、劇場にも主体性があるから僕らは作品を選びます。ただ僕らが県立美術館に近いことをするときは、その基準をハッキリさせます。「作家と合意の元」なんて責任回避で丸め込むもよろしくない。劇場の意思として作家に条件を飲んでもらったということをしっかりアナウンスすべきだと考えます。合意したから文句を言うなというならそれは立場を利用した弾圧になる。作家が身体をはって世に問うたものを表に出さない劇場側の基準は身体をはって示さないと失礼でしょう。簡単にいえば、拒否する権利を持つなら、拒否した責任を劇場はおわなきゃいけない。そもそも、その基準こそが劇場の主体であり、プライドであり、売りなんだから恥じることも隠すこともないはず。劇場の主体性を示すためにも、どんどん公言すべきでしょう。影響力のある県立美術館が主体性のないことをして、劇場が「展示を選ぶなんて言論弾圧だ!」みたいな論調が広がると正直、町場の零細企業としては、いい迷惑としか言えません。基準の内容で、世間からバカにされたとしても、思っていることを身体をはって言えばいい。作家を守り育てるのも、作家とガチで勝負するのも劇場の仕事。それをせずに一方的になかったことにしようとするなら、立場を利用した弾圧と言われてもしょうがない。まあ結局そういうことに行き着いちゃう。悲しいね、期待していただけに…。公的施設に主体性を問うのはまちがいなんでしょうか?
画廊沖縄で作家の大浦さんと立ち話をしていて、「たぶん美術館に基準はないと思う。事なかれ主義なんだよね」という勝手な、極めてもやもやの残る結論を持ったまま、僕は画廊沖縄を後にしました。実は隠してるわけじゃなくて、責任をとりたくないだけだということでしょうか。もやもやします。そのもやもやこそがタブーというものの本質だと思います。国家権力がどうこうとか大げさな話に行く前に、世の中の言わない意思と、聞かない無意識がタブーの温床というところでしょうか?
『ゆきゆきて神軍』のバカみたいに突撃して責任を迫る鬼のような奥崎謙三。『9.11-8.15 日本心中』の彷徨うように識者の話に耳を傾け続ける針生一郎。ある意味対照的な二人の人間のタブーへの肉薄が、図らずも今の沖縄の現実を炙り出したことが興味深い。今日で県立美術館の『アトミック・サンシャイン~』の展示は終わりですが、今後もこの話題は注目していきたいところです。
2009年05月13日
『さんかく山のマジルー』始動、ブログもあるでよ
ついにマスコミ解禁!この夏最大の話題作になること請け合いの『さんかく山のマジルー 真夏の夜の夢』の試写会&完成披露記者会見が桜坂劇場でおこなわれました。この作品は沖縄県以外では『真夏の夜の夢』と言うタイトルで公開です。シェークスピアが元になっているとはいえ、沖縄の人にはこっちタイトルの方が親しみと興味を持ってもらえるはず!ということで異例の国内2タイトルの映画になったわけです。
今日の記者会見は、中江裕司監督と、マジルーの蔵下穂波さん、ゆり子のこども時代の中村玲月ちゃんが登場。二人ともオーディションで選ばれて、今回十分に見応えのある演技を披露してくれました。
蔵下穂波さんは『ホテル・ハイビスカス』のミエコを演じた女の子。あの子ももう高校生ですよ。時間の経つのは早いものです。そう書くと、なんとなく最初からデキレースで選ばれた様に見えると思いますが、彼女の方からオーディションを受けて、厳しい選考の中からこの役を勝ち取ったそうです。もちろんぼくも映画は観ましたが、スクリーン上での彼女は、本当にフォトジェニックだと思います。沖縄での公開は7月18日(土)。桜坂劇場とリウボウホールで同時に封切られます。そのまえに7月4日(土)、5日(日)に先行上映会ということで、なんと世界遺産の中城城跡で野外上映されます。
そんなこんなで、これからもこの映画に関しては様々な話題が飛びだしてくると思います。沖縄発信のブログも作ったので、ぜひご覧ください。ブックマークして下さい。よろしくお願いします。
さんかく山のマジルー 沖縄ブログ
『真夏の夜の夢』公式HP2009年05月03日
『ハーベイ・ミルク』を忘れるな!
本日スタートの『ハーベイ・ミルク The Times of Harvey Milk』を観て、厚い気分になりました。ショーン・ペン主演の『ミルク』ではなく、1984年(ミルクが暗殺されて6年後)に作られたドキュメンタリー映画。アカデミー賞も受賞した名作です。ミルクは、アメリカでは始めて、ゲイであることを公言したうえで公職に当選した人物。しかし、同じ市制執行委員のダン・ホワイトに、当時のサンフランシスコ市長ともども、市庁舎内で射殺されてしまった人物。詳しくはネットで調べてみて下さい。、
当時は警官からもゲイと言うだけで乱暴を受けていた人々の権利を主張し、またゲイだけでなく少数はの人種や、高齢者などのマイノリティ全般の想いを組み上げ、闘っていたミルクの姿がかっこいい。事件の6年後に作られただけあって、彼に関わった人々のインタビューも、単なる歴史の中の一事件ではない温もりを感じてしまった。印象的な言葉も多い心に響く。
圧巻なのは、彼の死後、その追悼で集まった人々の様子だ。ゲイや少数派の人種はもちろん、普通の白人までがなんの分け隔てもなく集まり、声を荒げることもなく静かにロウソクを灯して行進をしている。ミルクが求めた世界が、彼の死を持って証明された荘厳なシーンであり、その映像を見るだけでもこの映画の観る価値はある。誰もが基本的な権利を主張でき、お互いを認めあう寛容さ。その理想が皮肉にも、ミルクの死によって形を見せた瞬間なのだ。
しかし、さらに皮肉なことに、殺人犯のダン・ホワイトは、それほど計画性のない発作的な犯行として軽い刑で裁判は結審。彼の精神状態が普通でなかった理由としてあげられた理由の一つが「健康に気を使う彼が、ジャンクフードばかり食べていたから」というのあきれる。
ただ現実のアメリカという国を考えると、アメリカ的な価値観で育った保守的なダン・ホワイトのような人物が思い悩むのもわからんではない。アメリカも数十年後には白人がマイノリティになってしまうと言われているが、彼らの信じてきた絶対的なものが覆される現実に、真面目な人ほど思い悩み、強迫観念を抱いているはずだから。そう考えると、ハーベイ・ミルクの物語は、これからのアメリカを示唆する内容でもある。温故知新と申しますが、当時のニュース映像が生々しく伝えるリアルな『ハーベイ・ミルク』の姿を、まずは観て知って欲しいです。
上映は5/8まで桜坂劇場で 20:50〜より上映。
タグ :ハーベイ・ミルク
2009年04月27日
『その男 ヴァン・ダム』は拾い物です
土曜日に劇場で『その男 ヴァン・ダム』を観る。すでに50歳手前のアクションスター、ジャン=クロード・ヴァン・ダムが主人公で、役もそのまま自分自身。パロディ映画のコメディかと思いきや、その展開屋余韻も含めて哲学的な印象さえ感じさせるシリアスドラマだった。昔の大スターも身体には衰えが見え始め、離婚した妻とは子供の養育権の裁判中。しかし、B級映画ばかりに出ているヴァン・ダムは教育上いかがなものかと、弁護士に責められる。肝心の養育費の支払いもとどこおる始末。故郷のベルギーに帰ったとき、金を下ろそうと郵便局に入ったところで銀行強盗と鉢合わせ。ちょっとした勘違いから、警察はヴァン・ダムが犯人と思い交渉を始める。
派手なアクションはない。普通の人として人質になりながら、銃で脅されて犯人のように警察と交渉するヴァン・ダムの苦悩が、シリアスに描かれる様がおもしろい。フランス映画っぽいシニカルなユーモアをちりばめつつ、意外に哲学的で、感動的な映画だったように思う。なんだかわからないが、僕は見ているあいだ、不思議なほど幸せな気分でした。しみじみとね、良い時間を過ごした感じです。あとセルフ・パロディというのはこういう描き方もあったのかと、目から鱗でした。変な映画ですが、物は試しで観て欲しい作品です。コメディとしてではなく、人生の悲哀を楽しむ映画として。こんなのもありだと思います。見終わったらきっと、ヴァン・ダム・ファンになるでしょう。ヴァンダホー!
余談ですが、シュワルツネッガーもセルフ・パロディ映画として『ラスト・アクションヒーロー』という映画があったのを思いだす。そちらは子供向けのアクション・コメディ。そこそこ楽しいけど、あまり記憶に残っていない。
あとセルフ・パロディではないですが、ミッキー・ロークも自分自身を描いたような『レスラー』でアカデミー主演男優賞にノミネートされてましたね。やっぱこういう映画は、人気絶頂のスターよりも、泥をなめた役者の方が深みがあってオモシロイと言うことですね。
タグ :ヴァン・ダム
2009年04月17日
映画の学校、本日開校しました!
今日(4/17 金)から映画の学校がスタートしました。前にも書きましたが、広く浅くではありますが、重箱の隅をつつきながら、映画のいろいろを学んだり考えたりできる内容にしたいと思っております。
一回目の講義は『映画の歴史』。映画の草創期からのお話を、資料映像を観ながら解説&納得な楽しい講義…だったはず。
リュミエール兄弟の『列車の到着』とか、ジョルジュ・メリエスのトリック映像を見て、みんなが普段意識しないであろう、ある重要なことに思いをはせてもらいました。《ある重要なこと》とは、絵が動くって不思議で楽しい。というシンプルな事実。あたりまえ過ぎて、どうでも良いと思う人もいるかも知れません。でも映画が発明された時代の映像を観ると、あの時代の観客が感じたであろう感動が伝わってくるから不思議です。というか、そこを意識しないとただの古くさい映像なんですけどね。
それと、前回ブログで書いたように『大人の科学』の付録の手回し映写機を使って、映写の構造を説明。その後に実際の映写機と見比べてもらいました。これも映画を発明した人たちの努力と工夫を知れば、映画を観る楽しみが、喜びになるんじゃないかとオーバーに考えたりします。映画は音楽や、物語、演技など、様々な分野をクロスオーバーする総合芸術と言われますが、でも何より絵が動く感動が、映画をここまで発展させた原動力だったのです。てなことをしゃべって、話を聞いて、微妙に手を動かしつつ楽しんでみました。
▲リュミエールの『列車の到着』。初めてこの映画を観た人々の戸惑いは、今や伝説。
一回目の講義は『映画の歴史』。映画の草創期からのお話を、資料映像を観ながら解説&納得な楽しい講義…だったはず。
リュミエール兄弟の『列車の到着』とか、ジョルジュ・メリエスのトリック映像を見て、みんなが普段意識しないであろう、ある重要なことに思いをはせてもらいました。《ある重要なこと》とは、絵が動くって不思議で楽しい。というシンプルな事実。あたりまえ過ぎて、どうでも良いと思う人もいるかも知れません。でも映画が発明された時代の映像を観ると、あの時代の観客が感じたであろう感動が伝わってくるから不思議です。というか、そこを意識しないとただの古くさい映像なんですけどね。
それと、前回ブログで書いたように『大人の科学』の付録の手回し映写機を使って、映写の構造を説明。その後に実際の映写機と見比べてもらいました。これも映画を発明した人たちの努力と工夫を知れば、映画を観る楽しみが、喜びになるんじゃないかとオーバーに考えたりします。映画は音楽や、物語、演技など、様々な分野をクロスオーバーする総合芸術と言われますが、でも何より絵が動く感動が、映画をここまで発展させた原動力だったのです。てなことをしゃべって、話を聞いて、微妙に手を動かしつつ楽しんでみました。
▲リュミエールの『列車の到着』。初めてこの映画を観た人々の戸惑いは、今や伝説。
2009年04月12日
こども映画撮影隊スタート
今日から桜坂市民大学の第6期がスタート。僕が受け持っている《こども映画撮影隊》も始まりました。受講生は三人。何か創るのは決まっているのですが、特に予定があるわけではない。みんなのノリをみつつ、何かを完成させるまでがんばってもらう。というアバウトなスタートを切りだす
第一回目は過去の作品を見せたり、お気に入りの短編映画を見せてオリエンテーション。いろいろあったのですが、短辺アニメの『ルクソーJr.』見せてみた。
◀これが『Luxo Jr.』
電気スタンドの親子のやり取りを描いた短編アニメだ。今さら言うまでもないが、『TOY STORY』のピクサー社が、世に名を轟かせた記念すべきパイロットフィルム。シンプルながら、揺れ動く影や、キャラクターの関係性、物語の展開、なにより身近な素材に命を吹き込むアニメーション本来の楽しさが詰まっている。など、教科書のようなすばらしい作品。みんなそれぞれの態度で、おもしろがっている。それを観ていると、みんなの性格や、理解度、成長ぶりが見れるようでオモシロイ。
その場で盛り上がった勢いで、Panaにおいてあった電気スタンドを使ってアニメーションを撮り始めることになる。
◀うちの『ルクソーもどき』
あれこれ試したあとに、かってに電球に顔を描きはじめる子供たち。ちょんまげを付けて《電機侍》の出来上がり。すると誰かが、そのライバルということでマジックペンに顔を付け始める。ということで、成り行きのまま、来週からこのキャラクターを使った映画作りのスタートと決まる。こども撮影隊は動き出しました。
第一回目は過去の作品を見せたり、お気に入りの短編映画を見せてオリエンテーション。いろいろあったのですが、短辺アニメの『ルクソーJr.』見せてみた。
◀これが『Luxo Jr.』電気スタンドの親子のやり取りを描いた短編アニメだ。今さら言うまでもないが、『TOY STORY』のピクサー社が、世に名を轟かせた記念すべきパイロットフィルム。シンプルながら、揺れ動く影や、キャラクターの関係性、物語の展開、なにより身近な素材に命を吹き込むアニメーション本来の楽しさが詰まっている。など、教科書のようなすばらしい作品。みんなそれぞれの態度で、おもしろがっている。それを観ていると、みんなの性格や、理解度、成長ぶりが見れるようでオモシロイ。
その場で盛り上がった勢いで、Panaにおいてあった電気スタンドを使ってアニメーションを撮り始めることになる。
◀うちの『ルクソーもどき』あれこれ試したあとに、かってに電球に顔を描きはじめる子供たち。ちょんまげを付けて《電機侍》の出来上がり。すると誰かが、そのライバルということでマジックペンに顔を付け始める。ということで、成り行きのまま、来週からこのキャラクターを使った映画作りのスタートと決まる。こども撮影隊は動き出しました。


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